美を求める心 2

台風18号は、日本列島を一気に駆け抜け、関西から関東にかけて大きな爪痕を遺して去っていった。
横浜は、大きな被害もなかったようだが風が強かったので、一歩も外に出ずに部屋で過ごす。


栗の樹 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

栗の樹 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

詩人は、自分の悲しみを、言葉で誇張して見せるのでもなければ、飾り立てて見せるのでもない。
一輪の花に美しい姿がある様に、放って置けば消えて了う、取るに足らぬ小さな自分の悲しみにも、
これを粗末に扱わず、はっきり見定めれば、美しい姿のあることを知っている人です。
悲しみの歌は、詩人が、心の眼で見た悲しみの姿なのです。
これを読んで、感動する人は、まるで、自分の悲しみを歌って貰ったような気持ちになるでしょう。
悲しい気持ちに誘われるでしょうが、もうその悲しみは、不断の生活のなかで悲しみ、心が乱れ、
涙を流し、苦しい思いをする。その悲しみとは違うでしょう。
悲しみの安らかな、静かな姿を感じるでしょう。
そして、詩人は、どういう風に、悲しみに打ち勝つかを合点するでしょう。
   小林秀雄『美を求める心』


すごい考察だな...
悲しみを、はっきり見定めること...
悲しみの安らかな静かな姿を感じること...
悲しみに打ち勝つこと...
真に美しさを感じるために必要なものは、
悲しみを見据える勇気なのかもしれない。
臆病な自分には、観念でしかとらえることのできない感覚だ...


人には、それぞれの裡に実に様々な悲しみを抱いているものだ。
多くの友人に触れていると、そのことが身に沁みる。
しかし、その悲しみの前で、どうすることもできず立ち止まってしまう。


一輪の花の美しさをよくよく感ずるという事は難かしい事だ。
仮にそれは易しい事だとしても、人間の美しさ、立派さを感ずる事は、易しい事ではありますまい。
又、知識がどんなにあっても、優しい感情を持つとは、物事をよく感ずる心を持っている人ではありませんか。
神経質で、物事にすぐ感じても、いらいらしている人がある。
そんな人は、優しい心を持っていない場合が多いものです。
そんな人は、美しい物の姿を正しく感ずる心を待った人ではない。
ただびくびくしているだけなのです。
ですから、感ずるということも学ばなければならないものなのです。
そして、立派な芸術というものは、正しく、豊かに感ずる事を、人々に何時も教えているものなのです。
    前掲書


自然の本当の美しさを...そして、人間というものの美しさを感じることのできる人間になりたい...


台風が去った夜... 薄い雲の上に月の光が滲んで見えた。