『チェ39歳別れの手紙』

先日観た前篇に続いて後編を観る。
チェ・ゲバラの生涯を一通り学んでから観たので
今回は、それを反芻しながら楽しめた。

チェ・ゲバラの遥かな旅 (集英社文庫)
(注:背景を知らないと、前篇以上にわからない映画です)
フィデル・カストロの思想と行動に魅せられて
アルゼンチン生まれでありながらキューバ革命に参画、英雄となったチェ・ゲバラ
指導者の一人として、また外交の重責を担って、世界中をまわる。


しかし、いよいよこれから...という時に彼はキューバを去ってしまう。
それは何故か?彼の見果てぬ夢はキューバの革命にとどまらなかった。
若き日に友人と見て歩いた南米大陸は、貧しい民衆が抑圧される悲しい現実が渦巻いていた。
その民衆を救済し、民衆のための国家を作る。否、国境さえなくしてしまおうという夢を追っていた。
カストロキューバ人だし、これからキューバを築いていかねばならない。
しかしゲバラは自由だった。彼は最後の手紙をフィデル・カストロに残して、まずはアフリカに向かう。

今この瞬間、僕はたくさんの場面を思い出している。マリア・アントニオの家で初めて君と出会った時のこと
君が一緒に来ないかと僕を誘った時のこと。
そしてキューバ解放の準備を進めている、あの緊張の日々のことを(中略)
...それが革命であれば、人は勝利するか死ぬかの二つに一つしかないのだと学んだのだ。
実際に多くの同志が勝利を見る前に死んでいった。(中略)
僕はキューバ革命において、僕に課せられた義務の一部は果たしたと思う。
だから、君に、同志たちに、今では僕のものである国民に別れを告げる。
党指導部での地位、大臣の地位、司令官の地位、キューバの市民権...それら全てを、僕は公式に放棄する。
(中略)
今、世界の他の国が、僕のささやかな力を求めている。
君はキューバの責任者だからできないが、僕にはそれができる。別れの時が来てしまったのだ。
喜びと悲しみが入り混じった気持ちで、今この手紙を書いていることを理解してほしい。(中略)
僕は新しい戦場に、君から教えられた信念、キューバ国民の革命精神、
神聖な仕事をやり遂げるという覚悟を携えて行こう。(中略)
もし、異国の空の下で死ぬときが来たら、僕の最後の想いはこの国の人々に、特に君に馳せるだろう。(中略)
永遠の勝利の日まで。勝利か死か。
ありったけの革命的情熱を籠めて君を抱きしめる。
                        戸井十月チェ・ゲバラの遥かな旅』より

映画『チェ 39歳別れの手紙』は、フィデルがこの手紙を世界に公表するところから始まる。
しかし、コンゴでは受け皿ができておらず革命は失敗に終わる。
そして圧政に苦しむボリビアに潜入して革命の行動を起こすが、キューバと同じようにはいかなかった。
障壁に次ぐ障壁 チェ自身も喘息はさらにひどくなっていく。
それでも、高潔なる精神を持って、誇り高く理想の世界を民衆に説きながら進む。
なぜ、ここまで苦しみながら闘うのか?
しかし、ボリビアの民は、よそ者の彼らに理解を示さなかった。無理解・密告・裏切り..
一人また一人とボリビア軍に倒されていく。ゲバラぜんそくは益々ひどくなる。
こうして見れば、キューバを出てからの年月は、苦難の連続だった。
キューバに残れば、家族とともに安逸な日々が送れたのかも知れない。
もはや彼の命は、彼だけのものではなかった。同志と民衆のために、その命は捧げられた。
ボリビア潜入から9か月、とうとう追い詰められて、ゲバラを含め全員が捕えられる。

黴臭い暗い部屋の中で、ゲバラはうとうとしていた。
この先どうなるかということはあまり考えていなかった。ただ、これで、少しは休めると思った。
処刑されるにせよ、裁判を受けるにせよ、少なくとも今よりは楽になるだろう。
喘息、アメーバ赤痢、肝炎、マラリア、栄養失調、足の傷、全体的な肉体の衰え...
自分の体がひどい状態にあることは、よく分かっていた。長い間忘れていたが、
そういえば自分は医者だったのだ。
                       戸井十月チェ・ゲバラの遥かな旅』

それほど過酷な戦いの年月だった。
処刑の命令が下された翌朝、小学校の女教師フリアがスープを届けに来る。
彼女は、ゲバラとは知らず、汚れた山賊だと思っていた。


ゲバラの)目があまりにも優しかったので、フリアはつい訊いてみたくなった。
「どうして、こんなことになったの?」
ゲバラは短く答えた。
「理想を実現するためだよ」(中略)
背を丸めて黙々とスープをすするゲバラを、フリアは憐れむような目で見ていた。
ゲバラは、パブロ・ネルーダの詩と一緒にスープを飲みこんだ。
  

  きみが歩くように わたしも歩く
  きみが食べるように わたしも食べる
  きみが婚約者を抱くように わたしも恋人を抱く..(中略)
  古い友だちのように きみの肩に手をかけて
  わたしはきみの耳に語りかけるのだから
  くよくよするな われらの時代がやってくる
  来たまえ 私といっしょに来たまえ
  たとえ きみが知らなくとも
  わたしが知っているんだから
  わたしたちはどこへ行くのか 知っているんだから
  うけあうよ くよくよするな
  ごく単純素朴なわたしたちが勝利するのだ
  たとえ きみが信じなくとも
  わたしたちは 勝利するだろう
  わたしたちは 勝利するだろう      <ネルーダ「単純素朴な人間のオード」より>

                         戸井十月チェ・ゲバラの遥かな旅』より

 
  
映画では、監視についた若い兵士との出会いも描かれている。
その兵士はゲバラがどんな戦いをしてきたかを知り、キューバに憧れを抱いている。
自分の吸ったタバコを、手足を縛られたゲバラに薦める、ゲバラは口を差し出し、それを吸い込む。
ゲバラから見れば、彼は敵ではなく人間である。愛する庶民の一人の青年である。
兵士はキューバのことをゲバラに次々と質問していく。
「あなたは宗教を信じているのか?」チェが答える「俺は人間を信じている」と
命がけで民衆のことを思い、革命の戦いをしてきた男に惹きこまれる。
一瞬ではあるが、人間と人間の心の交流が生まれる。
翌朝、処刑が執行され、ゲバラの視界が薄れて閉じたところで映画は終わる。


たった一人の男に軍部は大挙して襲い掛かり、遺体が民衆に崇拝されることさえも恐れて、隠してしまう。
権力というものは、横暴であるとともに、臆病でもある。
チェ・ゲバラは殺されたが、思想まで殺すことはできなかった。
キューバの勝利の後の戦いは、ある意味敗北の連続であった。
しかし、どこまでも民衆のために戦った彼は、それだけで勝っていたのだ。


死後32年ぶりに遺体が出てきたことがきっかけで、世界は彼の行動を再評価し、映画化までされた。
過去を美化しすぎているのではないかとの声もあるが...ムイカリエンテは思う
歴史は、断片をかき集めて、勝者の都合で書かれ、また報道されていることの方が多い。
イカリエンテの世代は、「キューバ」は危険な国、「ゲリラ」は恐ろしいものと教えられてきた。
しかし、それはアメリカ側の視点でしかなかった。
一人の人間の行動と手記が、その偏った視点を覆した。


カストロに別れの手紙を書いたのと同時に、チェは両親にも別れの手紙を書いていた。

私は、再びロシナンテのあばらを自分の踵に感じています。
楯を携えた私は、再び旅に出ます。
                          戸井十月チェ・ゲバラの遥かな旅』

ドンキホーテになぞらえた、旅立ちの詩。
永遠に夢を追い続ける姿は、なんと神々しいことか...


自分は、いかに生きるべきか...