憧れの矢となれ!

じめじめとした暗い牢獄に、光はほとんど差し込まない。
無知・怠惰・傲慢・嫉妬・讒言・不正...汚れきった空気は悪臭に満ちている。
小さな空気穴からやっとの思いで呼吸をするのが精一杯
意味の見出せない徒労。心も体も疲れ果てて、眠りに落ちる日々。
およそストレスなどとは縁がなかった男が、1か月で3kgも痩せた。


日記も書けなくなった。書こうと思っても、何も浮かばないのだ。
心配した多くの友人や読者の方々から電話やメッセージをいただく。ありがたいことである。
昨日、以前に仕事でお世話になったK氏にご相談に伺う。
突然の訪問にもかかわらず、最大の激励をしていただく。


読書だけは続けてきた。自分の日記に引用した数々の箴言も、もう一度読み直した。
良書を読んできたのに、全然自分の血肉になったいないことに気が付く。
読了してしまうのが惜しくて休んでいた『水滸伝』18巻19巻と一気に読んで読了。
斎藤孝氏の本をきっかけにドストエフスキーの『白痴』を読み進めている。
そして、今日仕事帰りに書店で見つけた斎藤孝氏の新刊『座右のニーチェ
座右のニーチェ (光文社新書)
名前くらいは知っているが、もちろんニーチェの著書など読んだこともない。

君は君の友のために、自分をどんなに美しく装っても、装いすぎるということはないのだ。
 なぜなら、君は友にとって、超人を目ざして飛ぶ一本の矢、憧れの熱意であるべきだから。
                     <ニーチェツァラトゥストラ手塚富雄訳>
何と力に満ちた言葉だろう!  (中略)
ニーチェのいう「超人」は、スーパーマンのような万能の存在ではなく、
天賦の素質に恵まれた人間ということでもない。
これは私の解釈だが、常に今の自分を超えようと決意し、未来へ向かって飛びつづける人を指している。
あるいは、憧れに憧れてやまない人、加速度をもってグングン上昇している人をいう。(中略)
いくら優れた能力を持っていても、向上心を持って突き進むことを忘れた瞬間に、もうそれは超人ではない。
ただの人間だ。 (中略)
学びつづけ、闘いつづけた彼の遺した業績は、キリスト教やそれまでの哲学を一新するような思想の凝縮であった。
(中略)
憧れを目ざして飛ぶ矢は、憧れを引き寄せる。

環境を嘆いて、足元しか見なくなっていた自分。"ムイカリエンテ"への道を完全に離脱していた。
他者ではなく自分を変えなければならないのだ。過去でなく未来に生きなければならないのだ。
自分は、何の能力があるわけでもない。臆病で優柔不断で意志の弱い人間だ。
でも、今日の自分を超える決意をして未来へ向かって飛ぶことはできるはずだ。
「超人」を目ざして飛ぶ一本の矢になろう。憧れの熱意を持って...
それが"ムイカリエンテ"の原点ではないか!


去年の11月 三重の賢島で撮影した一枚の写真。
どんなに厚い雲に覆われようと、太陽はいつも変わらずに燃え続けている。
心に太陽を抱いていけば、いつか雲を突き抜けて輝くことができるはずだ。
イカリエンテ再開!


■おまけ写真  ナス