青年とは...

成人の日...ムイカリエンテの長男も成人になった。
もうすっかり中年のオジサンだ...
マスコミは面白おかしいネタ探しのために新成人が暴れそうな現場を漁り
ワイドショーのコメンテーターは顰め面で批判をするだけ。
地味でも青年らしく頑張る人にスポットを当てて欲しいと思う。
果たしてあの幼稚な成人を作ってしまったのは誰の責任だろうか?

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「青年」という言葉でまず思い浮かぶのは、
三国志の冒頭で、青年劉備玄徳が長江の流れを見つめている場面である。
そして関羽張飛と出会い「桃園の義」を結ぶ場面。
この壮大な物語りの原点、新しい時代の幕開けの瞬間である。
政治の腐敗で社会は混乱し、黄巾の乱の最中
玄徳も関羽も20代前半張飛はまだ10代の青年であった。
後に登場する諸葛孔明もまた青年である。
明治維新を推進した志士も、殆どが10代20代の青年であった。
青年とは、ひたむきさの異名であると思う。
目的に向かって果敢に挑戦していくのが青年ではないか。
偏差値で子供を縛りつけ、学校や会社のブランドで優劣を決め付けるような社会では
小利口な小さく固まった人間しか出てこないだろう。
たまたま学生時代に芽を出せなかった人間は、敗北者とされ、
やり場のない怒りや悲しみをどこかで発散しるしかないのかもしれない。
その自己主張もまた歪んでいる。
物質主義社会では、人間性に関わらず物や金を持っている人を成功者と呼ぶ
実に息苦しい社会である。

空気は我々の周りに重い。
旧い西欧は、毒された重苦しい雰囲気の中で麻痺する。
偉大さのない物質主義が、人々の考えにのしかかり
諸政府と諸個人の行為を束縛する。
世界が、その分別臭くてさもしい利己主義に浸って窒息し死にかかっている。
世界の息が詰まる。
もう一度窓を開けよう!広い大気を流れ込ませよう!
英雄たちの息吹を吸おうではないか。
ロマン・ロランベートーヴェンの生涯』前書き)

以前にも引用した部分ではあるが...
この社会の行き詰まりは、所詮ここにあるのではないか?
もう100年以上前に書かれたことが、恐ろしいほど今の社会に符合している。
偉大さとは、精神において偉大であることだ。
ベートーヴェンは貧しかったし、トルストイは迫害の人生であった。
後世の人までも勇気と希望をもたらした精神の勝者であった。
物質至上主義の幻を打ち破らねば、社会は益々病んでいくのではないだろうか。