『ガウディの伝言』

今年一個目のゴーヤが食べごろの大きさになった。
去年は大きくなる前に黄色く変色して
割れてしまったので、食べられなかったが
今年はゴーヤチャンプルが食べられそうだ。
(実は黄色くなったものも美味しいそうだが...)
それにしても、なんと不気味な形をしているのだろう
知らなければ絶対に食べないだろうな〜


久し振りに読書ネタ。
『ガウディの伝言』
ガウディの伝言 (光文社新書)

サグラダ・ファミリアをテレビで観たのは何年前だろうか?
建物というより芸術作品と言った方がよいほどの巨大な石の彫刻である。
120年以上も造り続けられ、今なお作業は続いている。
一瞬興味を持ったものの、そのまま深く学ぶこともなくいままできてしまった。
この本は、外尾悦郎さんという彫刻家が書いたものである。
青年のころ、生きる道を探してここにたどりつき、ガウディの直弟子に拾われて..
28年間も、このサグラダ・ファミリアで石を彫り続けているという。
(この本が書かれたのが3年前なので、もう30年を超していることになる)
日本人でありながら、いくつもの重要な彫刻を任されて仕上げてきた。
巨大な石の彫刻の中に入って、石を彫り続けながら学び観じたガウディを書いている。


構造においても、芸術性においても、色彩においても...群を抜く素晴らしさ。
いくつもの苦難を乗り越えて、これほどまでに偉大な建物が建てられたこと
そして今も造り続けられていることの不思議を、一つ一つ解き明かしていく。
内容はとても日記などでは紹介できないので、興味がある方は是非一読してください。

マラガールという詩人が詠った詩を引用することで、その一片がわかると思う。

終わりなき形成の何という喜びであろうか。
この聖堂の建設に一生の命以上のものを捧げている男が
慎み深くも、その完成を見ようともせず
後の世代の人々に建設の継続と完成を託していることを私は知っている。
この慎み深さと犠牲の下に
神秘主義者の夢と詩人の研ぎ澄まされた楽しみとが脈動しているのだ。
なぜなら、一人の命よりも長い年月を要する作品に、
また将来の幾世代もの人々がつぎ込まれなければならない作品に
その人の全生涯を捧げること以上に
さらに意味深く、
より美しい目的があるとでも言うのであろうか。
こうした仕事が一人の男にどれほどの安心をもたらすことであろうか。
時と死に対する何という優越感であろうか。
永遠に生きることの何という保証であろうか。

ガウディ亡き後、内戦で建物の一部が壊され、図面や模型が壊され危機的状況になりながら...
周囲の批判や経済苦と闘いながら、どうして建設が継続されてきたのか...
そこには、深遠なるガウディの想いと、その想いを継承しようという峻厳なる師弟の絆があったからだ。
ガウディは青年を育て、青年に託した。だから"時"にも"死"にも屈しなかった。
一人の男の死で、仕事は止まることはなかった。
偉大な仕事というのは、一代では成し遂げられるものではない。
師から弟子へ継承されゆく中でしかなしえないのだ。
師は偉大であるが、師の心が本当にわかる本物の弟子がいるかどうか...それですべてが決まる。


写真を見ているだけでも、人間技とは思えないような大きさ、精緻さ、美しさである。
いつかきっと、この建物の前に立ってみたい。
一人の人間にどれほど偉大な仕事ができるのかということを体で感じるために...