ダンテ『神曲〜地獄編』

本文と注釈が同じくらいある難解な文章を、少しずつ読み進めて
やっと地獄編を読み終わる。
詩人ダンテが、古代ローマの詩人ヴェルギウスを師と定めて、
師に導かれながら地獄を巡りその底を抜けて煉獄に至る。

神曲 地獄篇 (集英社文庫)

神曲 地獄篇 (集英社文庫)

様々な罪で地獄へ堕ちた者たちの霊に出遭い語る。
暴行者・自殺者・盗人....深みに降りていくに従って、聖職者・汚職者・反逆者等々
 ↑表紙の絵は、免罪符を売買して私腹を肥やし権力の座をほしいままにした教皇ニコラウス三世が
  巌の穴に逆さ吊りにされて火に焼かれる様(第19歌)


中世の教会は、巨大な権力を握り腐敗しきっていた。
聖職者である教皇の様々な悪事と真っ向から闘ったダンテは迫害を受け、
生まれ故郷のフィレンツェを追放されての旅に出る。
何の力もない彼はペンによって闘いを起こすしかなかった。
神曲』は、ダンテの心の中に描かれた壮大な旅である。
師ヴェルギウスは遠い過去の人であるが、ダンテが闘いを起こす契機であり、勇気の源であり、生きるよすがであった。
会ったこともない師と共に旅に出て事あるごとに師に守られ、師に教を受け、師に従っていく

現実の世界に正義は無く、平和も無かった。
法律はあったが、それを断乎として実施する力、あるいはそうすることへの関心を持つ人は、誰もいなかった。
貪欲、嫉妬、暴力が、どこでものさばりかえっていた。
苛酷な追放の笞のもと、ダンテはイタリアをくまなく渡り歩いたが、到る処にかれは、
故郷の町から追い立てられた同じ運命の不幸な人々を見つけた。
秩序正しい平和な統治はどこにも見出されず、到るところ争論、圧制、党人や搾取者たちの独裁が暴威を瀧っている。
隣りあう都市の間には、抗争や戦闘が絶えなかった。
ここまではびこった悪の諸原因をつきつめてゆくうちに、
ダンテは、これ以上望むべき何物もないゆえに、他者の貪欲を阻止でき、
多種多様な意志を一つにまとめ得られる力を持つすぐれた統治者の欠落に、その主要な理由があると考えた。
(中略)
ダンテ当時の皇帝たちは、ドイツ国内でかれらの足をひっぱる他の諸要求にかまけ、
かれらの第一の責務、すなわちイタリアへやってきて、帝国の花園をかしばむ病害を癒し、
ローマから世界を統治するという至上の責務を遂行していなかったのである。
(中略)
帝国の上にのしあがろうとの野望に燃える教会は、聖界にも俗界にも、
永久に賦与された力を揮う本来の権利ありと主張した。
このような状況は、神の定めた二つの指導者、帝国と教皇職の間に、嘆かわしい闘争を結果し、
恥知らずの犯人どもがうようよ出てきて、その闘争からうまい汁を吸いあげる。
そして、おのれの使徒的役割や魂の救いによりも、現世の権力や地上の財の獲得に血道を上げるかに見える、
ローマ司教座が示しか悪例にならい、忽ち貪欲が天下の風とかった。
(中略)
故郷の町から追放され、非運に苦しめられ通しの一私人にすぎぬかれが、
言うことを聴き入れてもらえると望む何の権利を持っているか? 
かれの発言に大きな権威を与えうるのは、詩人としてのかれの天賦の才以外には、何も無い。
はかり知れぬほど行きわたった邪悪が、高い場所にせよ低い場所にせよ、
読者に強烈な印象を与えるに足るだけの、生き生きした色彩で描き出されるためには、
たくましい結像力を必要とする。
                       ミケーレ・バルビ『神曲 解説』

ダンテの叫びは、中世の暗黒時代を打ち破る突破口を作り、イタリアルネサンスの幕開けとなった。


現代もまた、閉塞の時代である。
世界各地で起こる金融不安・政治不信・自然災害...何かが狂っている...が、その何かがわからない。
世界全体が重苦しい雰囲気に包まれて息が詰まる。
ロマン・ロランの言葉を借りれば、「偉大さのない物質主義」に毒された故か...
http://d.hatena.ne.jp/mui_caliente/20080614


ダンテの旅は、まだまだ続く。