待月

光も射さぬ山裾の、薄暗い朝の梅林を歩いていた。
春というにはまだ早すぎる張りつめた寒気の中で
雪のような白梅の花がいっせいに開いて
それでもやわらかくなってきた空の蒼を見ていた。


夜は花びらも凍るほどに寒いことだろう。
もっと暖かくなってから咲けばいいものを
何を想って、そんなに寂しげに咲いているのか...


 

そのとき一輪の花が、僕のそんな想いに「否!」と言った気がした。
春を待つために咲いたのだと...

そして、脳裏に忽ちに一幅の絵が浮かび上がったのだった。
上村松園の作品のなかに『待月』という絵である。



(加藤類子著『上村松園 生涯と作品』より)

 

若妻がひとり窓辺の手すりにもたれて、月の出るのを待っている。
夫はまだ帰らぬのであろう...
なにかを希いつつ待つ姿はせつなく、そして美しい。

 

月が出るから待つのではない
待つ人がいるから月が出るのである。

 

そうか...
春に先がけて咲いて、こうして静かに春を待つのだな
春を待ついのちがあるからこそ、春は来るのだ。
寒さに凍え、辛くて悲しくて切ない冬に折れそうになりながら、
待ちこがれ、待ちわびて、待ちかねて、待ちつくしてきた春が
もう少し、あと少しで来るというときに
ぱっと咲くこの花の姿を見て、どんなに安堵できることか

 

白に淡い琥珀を重ねたような花も、紅をさしたような額も
春を待つ時間のなかで、樹皮の裡に熟成したいのちの色なのだ。

 

やがて山の端から太陽がのぞき、凍える花々に光が射した。
小さな花が微笑んだような気がした。






梅林を出て野に行くと、
咲き始めた菜の花が、早春の陽だまりを集めたように光の中で揺れていた。
花を揺らす風はまだ冷たかったが、ほんのり春の匂いがした。