半田赤レンガ建物

堂々たる体躯の赤レンガの建物が、抜けるような蒼空を見上げていた。
午前八時の太陽が、冷たくなった彼の頬を照らしていた。


かつて、ここで日本のビール造りに情熱を注いだ男たちがいた。
江戸時代から醸造産業で栄えていた知多半島の中心拠点、半田
中埜酢店(ミツカン)の四代目又左衛門、敷島製パン創業者盛田善平ら...
若き醸造家たちが、日本の地ビール造りを始めたのは明治22年(1889年)
そして、本格的な量産工場を立ち上げるため、ドイツ人技師を招き
明治建築界の巨匠妻木頼黄(つまきよりなか...横浜赤レンガ倉庫も設計)に依頼して
明治31年(1898年)この工場が落成した。


あの頃の人々も、この同じ空を見上げていたに違いない。
眼を閉じると、工場の内外で忙しく立ち働く人々のざわめきが聴こえる。
立ちのぼる湯気 ホップの匂い 瓶のぶつかり合う音...
人々が眠りについた夜も、タンクの中でふつふと発酵を続ける酵母のにぎわい...
手作りのビールは、多少品質がばらついたとしても、きっと旨かったんだろうな。


一時は東海地方最大のシェアを獲得するが、譲渡や合併を繰り返し、
昭和19年に国策で閉鎖に至ってしまう。


今のビールは、技術革新によって、ほとんどが機械によってつくられるようになり
コスト削減や品質の均一化は一気に進んだが、工場に人のにぎわいはなくなった。
酵母もコンピュータに管理されて、人の声が聴こえないタンクの中で寂しげに発酵している様子が思い浮かぶ。
均一化の社会...異質なものを排除する社会...
人間同士の疎外...争い... なんだかみんな繋がっているような気もする。


空を見上げなくなったな...
人は、空を見上げなくなった。
地球の重力に逆らうように巨大な建造物を次々に作って、空を狭くしてしまった。


「たとへ何事を忘るるとも、わが頭の上の限りなき高さを忘れ給ふことなかれ。常に目を上げよかし。」
石川啄木は言ったのは、希望を忘れてはならないということだと理解していた。
しかし、それだけではなかったな...
慢心してはならないということだ。
限りなき天の高さに比べたら、人間のすることなどちっぽけなことだ。
世界を知り尽くしたと思う慢心は、人の心を蝕んでいる。


空を見上げよう
まずは、我が内なる慢心を一点の曇りなく取り払うことだ

仕事に向かう途中...いつもと違う道を走って行ったら、突然視界が開けた。
おおきな青空の下で、彼方まで広がる碧い海が光っていた。



◆おまけ
このブログで何度も引用した文章ですが...また載せておきます。

年若き旅人よ、何故にさはうつむきて辿り給ふや、
目をあげ給へ、常に高きを見給へ。
かの蒼空にまして大いなるもの、何処にあるべしや。
如何に深き淵も、かの光の海の深きにまさらず
如何に高き穹隆もかの天堂の高きに及ばじ。
日は常に彼処にあり。
たとへ何事を忘るるとも、
わが頭の上の限りなき高さを忘れ給ふことなかれ。
常に目を上げよかし。
よし其の為に、足路上の石に躓きて倒るるとも、
其傷の故になんじの生命を危うくすることなからむ。
蛇ありてなんじの脚を噛むとも、其毒遂に霊魂の花までも枯らすには至らじ
けだかき百合の花は下見てぞ咲く。然れども人々よ、よく思へかし、
人の目にふれぬ荒野の百合だにも、其生ひ立つや、茎は皆天を指す也。
石川啄木集』より