越前竹人形

その街には、木彫と書かれた看板が軒を連ねていた。
どの店も、奥で職人が巨大な楠の塊に鑿を当てて槌をふるい
100本ほど並べた彫刻刀から1本1本を選んでは細かな彫刻をほどこしていた。

 

富山に井波という彫刻の街があることを知ったのは、
入善の料理旅館に立ち寄ったときのことであった。

  

清八楼 - ムイカリエンテへの道

 

これまでに見たこともないような、見事な欄間の彫刻に魅せられ、
それが井波で作られたものであることを聴いて、一度訪れてみたいと思っていたのだ。
延々と連なる町並みの、ほとんどが木彫の店である。
こんなにも一所に職人が集まっている街は、他に見たことがなかった。

 

雁の寺・越前竹人形 (新潮文庫)

雁の寺・越前竹人形 (新潮文庫)

 

越前竹人形水上勉

氏家喜左衛門は、竹藪の中で生きたような男であった。彼の手は子供のように小さく、細い指をしていたけれど、
竹にふれると、まるで憑かれたように器用に動いた。
喜左衛門は大正十一年の秋末に、六十八歳で死んだが、死ぬ間際まで、しめっぽい杉皮屋根の下の作業場で、
竹細工の轆轤をまわしていた。轆轤とは、自在錐のことであって、竹細工をする者ならば、
誰もが手製でもっていなければならない道具の一つである。
樫材でっくられた心棒に、皮革をまきつけ、横木にこれを通して、鼠刃錐とよばれる刃先錐を心棒り先にとりつけておく。
横木を上下させると、自然と心捧が回転し、固い竹材に穴あけをするのに便利なように出来ている。
この轆轤をにぎって、小鳥籠をつくりながら、喜左衛門は老衰のために倒れた。

福井県の山奥に竹神というわずか17戸の部落があった。竹の名所であった。
氏家喜左衛門は、ここのさまざまな竹を使って、この地域で初めて竹細工を始めた。
妻を早くに亡くして、男手で息子の喜助を育てた。
喜左衛門も喜助も、四尺二三寸(150cm弱)の小男で頭が大きく醜かった。

 

マダケは十一月に伐れ」とだけ遺言を残して逝った父であったが、
亡くなってしっばらくして、父の墓参りがしたいといって、若く美しい女が山奥の村に訪ねてくる。
村の人に、その女が幼い頃に亡くなった母に似ていると言われ、好意を抱いた喜助は雪解けとともに
女が住むという街を訪ねていく... そこは遊郭であった。

喜助のガラス箱をみている眼が急に釘づけになった。妖しい光をうかべて動かなくなった。
 それは、まだ、喜助が一どもみたことのない人形であった。喜助はガラス箱の蓋をあけた。
一尺くらいもありそうなその人形を手にとってみた。見事な細工といえた。江戸時代の遊女であろうか。
喜助にはわからなかったけれども、うしろへ髪のつきだしたような髪型に、蒔絵の木櫛、衣服は帷子を模したものである。
鹿子や柄地が竹の皮の斑様によってつくられている。履いた三本歯のこっぽりも竹であった。
前で結んだ大きな帯も、すべて竹の皮でつくられてあった。
うしろをみると、女竹の割れた背中がみえ、精巧なしっくい止めが要所にみられた。このような手の
こんだ竹の人形をみたのははじめてであった。
 「お父さんがな、やっぱり、冬の日ィどしたンや。うちにくれるちゅうて、わざわざここまでもってきてくれはりましたンえ」
 と玉枝はいった。十年前の父の細工品は、いま、そのまま玉枝の丹精な保存によって残っていたのであった。
喜助は、竹の皮を利用して、このような着物をつくった父の創意に舌をまいた。
喜助は、人形のどの部分にも父の精魂がこめられているような気がして、胸がつまった。
 〈お父つぁんは玉枝はんに惚れてたンや。この部屋へ雪道を苦労して運んできたンや。
玉枝はんが好きやったさかい、こんな人形をつくってはこんだんやな...〉
 喜助は父がまだ生きていたころの作業場の姿を思いうかべた。しかし喜助の記億には、このような人形をつくっている父の姿はなかった。

雪深い山奥の村の暗い作業場で、黙々と竹細工を作りながら、女への密かな想いを竹に託す醜い小男の後ろ姿が
美しいいのちの姿として、目の前に浮かび上がる...
ごつごつとした職人の手が、熟練の技で、繊細な人形の姿を作り上げていく。
その一体の人形が、喜左衛門のこの世に生きた証しであった。

 

目の前で、黙々と木と格闘する職人にも、奥で小物を作っている若い見習いも
さまざまな想いを込めながら、木のいのちと向き合い、自らのいのちを木に彫り込んでいる。



欄間の需要など、この日本にはほとんどなくなっていくのだろうが
そんなことはどうでもいいのかな...

 

いつまでも去り難かったが、時間がなかったので、刃物屋でプロ用の彫刻刀を一本買い求める。店主の方としばらく話をしていると、これを彫ってみてくださいと言って桜と立山杉の端材をいただく。

 

 

そこからさらに南下して砺波平野を見下ろす峠へ…

田園のなかに人家が点在する散家村といわれる景色。

田植えの時期には水を張った田んぼが夕陽で真っ赤に染まる景色が見えるそうだ。

 


仕事を終えて帰る途中、夕方の常願寺川の河口...
暴れ川と言われるこの川の河口は、水量が少なかったせいか、湖と見粉うほどの静けさだった。

どこから流れてきたのか、朽ちた木が一本...
川のいのちが尽きるその岸辺に静かに身を横たえて眠っていた。


 

おまけ...
刃物屋でいただいてきた桜の木を、新しい彫刻刀で彫ったペーパーナイフ...

そして母に贈った、栃の木の髪留め...

 

黒部川の河口で拾った流木