『凍てる庭』

その子が生まれたら、男の子なら蕗助、
女の子なら蕗代にしよう、と私は考えていた。
蕗が好きだったし、当時の妻は
蕗や芋のつる葉ばかり喰っていたのだから、
たしかに、生まれ出るその子は、
蕗の子のような気がしていた。
当時、私たちはどん底にあった。
...
「蕗代」という命名には、いろいろな、願いもこめられてあった。
蕗は地殻を割って春先にいち早く花を咲かせ、一本のくきに大きな葉を支えて成長してくる。
地べたに根を張る力は強い。陽蔭でも、どこでも、繁殖する。
そのような強い子になってもらいたかった。
   水上勉『凍てる庭』

凍てる庭 (新潮文庫 み 7-8)

凍てる庭 (新潮文庫 み 7-8)

水上勉氏の作品を読むようになったのも、やはり宮本輝氏の影響だった。
『五番町夕霧楼』『飢餓海峡』『雁の寺』『越前竹人形』『霰』『櫻守』『京の川』『紅花物語
すべて過去にこのブログに綴ってきた。
北陸の冬のあの厚く重い雲が垂れ込めた空のような、もの悲しい風景が
通奏低音のように作品の底流を流れている。
しかし、どん底で生きる主人公たちには、哀しみに打ちひしがれながらも、
そこで懸命に生きて行こうというひたむきさがある。


『凍てる庭』は、敗戦の後、疎開先の若狭から身ごもった妻を連れて東京に出てくる主人公の
生まれてくる子にかける思いから始まる。
この作品は、水上氏の作家としての原点となる敗戦から15年間の自伝小説である。
戦後の混乱期に極貧のどん底で妻に逃げられ、職を転々とせざるをえない状況のなかで
屈辱感と自己嫌悪を胸にいだきながら、一人残された娘を抱きかかえるように生きていく男。

思えば、私という人間はなんと、解散する会社に縁があって、ゆく先々で憂き目をみるのだろう。
戦後早々につとめた虹書房然りである。その次につとめた文潮社も然りである。
日本幻燈も然りである。そのつぎの業界新聞社もまたそうであった。
....
私は、もう、自分の軀には、不幸な運がまつわりついているのだと信じないではおれなくなった
  前掲書

41歳から始まった自分の転職と失職の繰り返しの人生と重なる。
転がり堕ちていく人生を恨みながら
肩を落とした自分が、ふらふらと放浪している後ろ姿が目の前に現れる。


しかし、彼には妻が置いていった一人娘の蕗代がいた。
妻に逃げられて、浦和の土蔵から東京に出て安酒に酔いしれる主人公...
駅で寝入ってしまった父親を待って、ベンチのまわりを駆けまわりながら
夜明けの寒さに耐える幼い蕗代...

「オ父チャン、目ガサメタ」
「大宮マデ電車イッチャッタノヨ、大宮デネ、車掌サンニシカラレテ、マタ浦和ヘモドッタノヨ、
 オ父チャンフラフラシテタンダモノ。フキチャン、オ父チャンノ手ェヒイテ、ココマデキタンダケドネ
 ベンチミタラ、オ父チャン、ゴロント寝コロガッテウゴカナイノヨ...
 フキチャン、シカタガナイカラ、マッテテアゲタノヨ」
「モウ朝ダヨ...オ父チャン」

「私」は、その日で酒をやめた。
蕗代は「私」にとってだたひとつの希望であった。


蕗代を若狭の実家に預けて再起を図るが、がんばってもがんばってもうまくいかない。
洋服の行商でなんとか生活をできるようになり、再婚して蕗代を引き取るが
後妻が生んだ子は、脊椎破裂による足の不自由な子であった。

「お前の妹だ。この子は...一生...歩けないかもしれないな....
 お前が蕗ならば、この子も凍て土を割って出てきた子だ。
 薹子(とうこ)と名づけよう...」
私は蕗代にそう言った。

そして、これからまだ凍てた土の庭を歩いていかねばならない...と蕗代に呼びかける。


北陸のあの重苦しい雲が嫌いだった。
想像するだけでも辛くなった。
しかし、昨年から富山出張が増えて、何度もあの雲を見ているうちに、その美しさに気がついた。
幾重にも重なる墨絵のようなグラデーション...
光が射した瞬間に色を得る山々...
空全体が火に包まれたような美しい夕焼け...


水上勉氏の作品は
凍てた土を割って顔を出す蕗の薹のように
暗く貧しい情景の中に、人間の美しさが垣間見える絵が見えるのは
こんな原点があったからなのだな...


不甲斐ない自分に、悄然とするしかない日々だけれど
凍てた道は続くと思い定めて、歩いていかねば...