待つということ

男は海を見ていた。
鉛を融かしたような海は、流れゆく雲の色を映しながら、音もなく揺れていた。
先刻までの雨でずぶ濡れになったが、男は身動ぎひとつせずに、そこに座っていた。


穴水の漁村に生まれ、この海とともに生きてきた。
父がしていたように、いつしか自分もこのぼら待ちやぐらに登って
ぼらを待ち続ける漁をするようになった。
隣の村からもらった嫁は、娘を一人産んでから病で死んだ。
それでも、一人残った娘を背負って男はこのやぐらに登り続けた。
その娘も成長して、昨日輪島に嫁にいった。
男は一人になったが、それでも今日もこのやぐらに登るしかなかった。


ぼら待ちやぐらの前に立って、昔のぼら待ち漁を模したあの孤独な人形を見ていたら
そんな妄想が浮かんだ。
あの男はいま、何を見つめ、何を待っているのだろう...

 

久しぶりに訪れた富山から帰り難く、休暇をとって一泊し
八尾・井波をまわって、能登半島まで来た。
宮本輝先生が小説の舞台として選んだ七尾湾に沿ったこの風景を、もう一度見たかったのだ。
新装版 朝の歓び(上) (講談社文庫)  新装版 朝の歓び(下) (講談社文庫)
短編『駅』の舞台の笠師保から能登鹿島と巡り、
『朝の歓び』の穴水のぼら待ちやぐらに着いた頃に雨はあがった。

 

去年は3月だったが、空も海もあの時と同じ色だった。
『朝の歓び』の最初の場面に、このぼら待ちやぐらを選んだのは何故だろう...

いくつかの場面を思い起こせば、やはり人生は「待つ」ことに支えられているということを
様々なかたちで描かれているようにも思える。

 

「待つ」ということを嫌い、「待つ」ことの少なくなってしまった現代...
あの人形は、「待つ」ことの風化にも見えるし、それでも消し去れない「待つ」という普遍にも見える。

 

技術革新によって、待たなくていい便利な社会になってきた。
しかし、その速度が増すごとに、それはいのちのリズムと乖離していくようにしか思えない。
新幹線は、たった2〜3時間座っているだけで、なんともいえぬ気だるさを感じるし
メッセンジャーの回答が10分返ってこないだけで、不安や苛立ちを感じてしまう。
「待つ」ことに耐えられなくなった人間は、ますます脆くなっていく。
「便利」な社会は、「しあわせ」な社会からますます遠ざかっているような気がする。

意のままにならないもの、どうしようもないもの、じっとしているしかないもの、
そういうものへの感受性をわたしたちはいつか無くしたのだろうか。
偶然を待つ、自分を超えたものにつきしたがうという心根をいつか喪ったのだろうか。
時を待つ、機が熟するのを待つ、それはもうわたしたちにはあたわぬことなのか...
              鷲田清一『「待つ」ということ』

「待つ」ということ (角川選書)

「待つ」ということ (角川選書)

 

あの男の姿を見たかったのだ...
ぼらの群れを待ちながら
海の上で、季節の移ろいを...時の移ろいを...そして、人の移ろいを眺めながら
様々なことを待ちながら生きてきた男の姿を...

 

自分自身、待つことの多い人生だったような気がする。
待たねばならぬことを待ちきれず、待つを自分に引き寄せて過ちもおかしてきた。

ひとは向こうからやってくるのを期して〈待つ〉。
〈待つ〉ことには、「期待」や「希い」や「祈り」が内包されている。
否、いなければならない。〈待つ〉とは、その意味で、抱くことなのだ。
 〈待つ〉ことはしかし、待っても待っても「応え」はなかったという記憶をたえず消去しつづ
けることでしか維持できない。待ちおおした、待ちつくしたという想いをたえず放棄すること
なしに〈待つ〉ことはできない。
河瀬直美の映画『沙羅双樹』(2003年)のなかの印象的な台詞をここで引けば、
「忘れていいことと、忘れたらあかんことと、ほいから忘れなあかんこと」
の整理をやっとの想いでつけながらしか、待つことはできない。
待つことの甲斐のなさ、それを忘れたところでひとははじめて待つことができる。
〈待つ〉ことにはだから、「忘却」が内包されていなければならない。
〈待つ〉とは、その意味では、消すことでもあるのだ。
(中略)
意のままにならないもの、偶然に翻弄されるもの、じぶんを超えたもの、じぶんの力ではど
うにもならないもの、それに対してはただ受け身でいるしかないもの、いたずらに動くことな
くただそこにじっとしているしかないもの。
そういうものにふれてしまい、それでも「期待」や「希い」や「祈り」を込めなおし、
幾度となくくりかえされるそれへの断念のなかでもそれを手放すことなくいること、
おそらくはそこに、〈待つ〉ということがなりたつ。
    前掲書

待ちこがれ、待ちかまえ、待ちわび、待ち遠しくて、待ち伏せ、待ちかね、待ちあぐね、
待ちくたびれて、ときに待ちきれなく、ときに待ち明かし、待ちつくし、やがて待ちおおせぬまま...。
〈待つ〉のその時間に発酵した何か、ついに待ちぼうけをくらうだけに終わっても、
それによって待ちびとは、〈意味〉を超えた場所に出る
      前掲書


この本に引用されていた宮本先生の言葉
「時を育てる。深い傷も円熟の皺に変える時というものを」
という『にぎやかな天地』の一節が、こころに沁みる。

 

待たねばならないのだろう
希いが砕け散ったとしても
祈りをこめなおしてまた待つことは、生きるということなのだ。

 

背後で車が停る音がして、一人の初老のご婦人が降りてきた。
挨拶を交わした際に微笑んだ彼女の目尻に浮かんだ皺は
「待つ」ことを重ねてきた彼女の人生がそのまま滲みでたように美しかった。