彫刻家具『良工房』

(6月18日のことですが、長くなったので日付を変えて書きます)


その椅子に出会ったのは、八ヶ岳倶楽部だった。
美しい雑木林の中を歩いてから立ち寄った工芸品のショップに
曲線だけでできた美しい椅子やテーブルが置いてあり
一瞬でその美しさに心を奪われた。


店員の女性に「素敵な椅子ですね」と声をかけると
「是非、おかけになってみてください」と言われる。


ひとつとして同じ形のものはない、その中でいちばん気に入った椅子に腰をおろした。
形は美しいが、木の椅子だから、硬いものだという先入観があった
しかし...
どうしたことだろう... 硬くないのだ
身体全体が、大きな手で包まれたような感触。
オーダーメイドでもないのに、尻も背中も吸い付くようにフィットしているのだ。
なんという心地よさ...
立ち上がるのが惜しくなる。
ずっとここで読書にでもふけっていたい...
否、死ぬときはここに座って、静かに逝きたい。
そんな想いがわきあがる。


田原良作氏
1938年岐阜県生まれ...
多摩美大卒業後、彫刻家としてヨーロッパを中心に活躍されていたようである。
日本の曲線の美しさに魅せられて、作品を世に送り出していく。
しかし、食道癌を患ったことをきっかけに、彫刻家としての想いが変わっていく。
「美を求めるよりも用」 使う人にとって優しい家具...
彫刻家としての美の追求に、使う人の心地よさを求めて家具を作り始める。


広い工房には、材料や木材を切断するような機材が整然と並べられていて
その中で3人の人が作業をしていた。
田原氏の姿も、工房の奥のほうに見えた。


作業を見ていたい気もしたが、仕事の邪魔をしてはいけないので....
向いのギャラリーに行き、扉を開ける。
田原氏の奥様が、イチゲンの客を丁寧に迎えてくださる。
自分の身なりからして、この高級な家具を買える人間には見えないであろうに...
八ヶ岳倶楽部でのお話しをすると、広いギャラリーの中を案内してくださる。
椅子 テーブル ベンチ など数十点
オブジェから小物まで...その数は数えきれない。
そして、大きな扉から棚 吹き抜けの中二階の欄干まで、すべて彫刻作品である。
一点一点、これは何の木で...こういう人のためとか、こういう用途でとか
この形には、こんな意味があるとか...
ご自分の子どもたちを紹介するように、丁寧に説明してくださる。


ふと『約束の冬』(宮本輝著)の一場面...主人公の弟 氷見亮のことを思い出す。
ニューヨークの大学で情報工学を学び、大手企業でコンピュータシステムのエンジニアとして
働いていた彼は、ある日突然会社を辞めて、九州の製材所で働きはじめる。
父が出張先のドイツで事故に遭い、亡くなったことで横浜の実家に戻り
父が建てた、古民家から集めた木で作った家で父との約束を回想する。

約束の冬〈上〉 (文春文庫)

約束の冬〈上〉 (文春文庫)

コンピュータの仕事で心身共に疲れはてたとき...

「あっ、これは俺っていう人間が崩壊しつつあるんだって気がついて、
その恐怖で頭が変になりそうになってたとき、
親父が、お金があったらこの人の作った家具をひとつだけ買いたいって言ってた人の、
ナラのテーブルと椅子を見たんだ」

「デパートで何人かの木工職人が作った家具の展示会をやってて、
偶然、本を捜してそのデパートの書籍売り場に行ったんだ」
 その椅子は、どんな大男でも包み込んでしまいそうな大きな椅子で、何の装飾もない、
子供が工作の時間に作ったような、一見粗い感じのするテーブルと椅子だった。
 「ああ、親父が好きだって言ってたのは、この人の作った家具なのかって思って、
その椅子に腰かけてみたんだ」
 その瞬間、自分が何か大きくて優しいものに包み込まれたような安心感が全身を満たした...。
 「俺、決めたんだよ。その椅子に坐りながら、よし、俺はこの仕事をやるぞって親父に約束したんだ。電撃的約束だよ」


まったく同じような体験であった。
何か大きくて優しいものに包みこまれる感覚...
お金ができたら、この椅子をひとつだけ買いたい...
自分に背負うものがなければ、その場で頼み込んで、無給でいいから働かせてほしいと頼み込んだかもしれない。
それくらいに惚れてしまった。


ずっと見て、触れていたかったのだが
仕事の途中でもあったし、今買えるお金もないのに、奥様にずっと気を遣わせるのも悪いと思い
辞することに...


そして、少し迷ったが、自分で彫った2作目のペーパーナイフをお見せすると
とてもいい出来ですねと、ほめてくださる。
イカリエンテの想いが伝わったのか..残り少ない非売品の貴重な作品集を一冊くださる。

お礼に、キキョーヤで買ってきたパンをお渡しする。
「また、いらしてくださいね」と、奥様に見送られ、工房を後にする。


帰ってきて冊子を開くと、
やはりこの椅子にほれ込んで購入した方のコメントが...
そこに「死を迎える時に座る椅子」という表現があって驚いた。
自分が最初に腰かけたときに湧きあがった思いと同じだったからだ。
その時の感想は、その日のFBに書いてあるから、間違えない。
一瞬にして「死」を思わせる椅子
そこまで安心できるすわり心地...
そこには、死をも覚悟したであろう病気のご経験と、
座る人に幸せを感じてほしいという深い想いがあるのだな...きっと


転職を余儀なくされ、全く誇りの持てない、ただ食べるためだけの仕事をしている自分
物づくりをしたいという衝動が、心の中で揺れ続けている。
今さらそれで食べていくことはできないのだろうけど
ペーパーナイフと鉛筆絵...これからも、少しずつ作っていこう。


小冊子の数えきれない作品のなかの数ページ 写真をのせておきます。