『泥の河』 ここで生まれた私

黒い川面が、ゆっくりと流れていた。
時おりその上を渡ってくる川風は、潮の香りがする。
ここは中之島の西のはずれ...
安治川のほとりに立っていた。
はじめてここ来たのに、懐かしさがわきあがってくる。


蛍川・泥の河 (新潮文庫)

蛍川・泥の河 (新潮文庫)

堂島川土佐堀川がひとつになり、安治川と名を変えて大阪湾の一角に注ぎ込んでいく。
その川と川がまじわる所に三つの橋が架かっていた。昭和橋と端建蔵橋、それに舟津橋である。
 藁や板きれや腐った果実を浮かべてゆるやかに流れるこの黄土色の川を見おろしながら、
古びた市電がのろのろと渡っていった。
 安治川と呼ばれていても、船舶会社の倉庫や夥しい数の貨物船が両岸にひしめき合って、
それはもう海の領域であった。
だが反対側の堂島川土佐堀川に目を移すと、小さな民家が軒を並べて、
それがずっと川上の、淀屋橋や北浜といったビル街へと一直線に連なっていくさまが窺えた。
 川筋の住人は、自分たちが海の近辺で暮らしているとは思っていない。
実際、川と橋に囲まれ、市電の轟音や三輪自動車のけたたましい排気音に体を震わされていると、
その周囲から海の風情を感じ取ることは難しかった。
だが満潮時、川が逆流してきた海水に押しあげられて河畔の家の軒下で起伏を描き、
ときおり潮の匂いを漂わせたりすると、人々は近くに海があることを思い知るのである。
    宮本輝『泥の河』


宮本輝先生の小説『泥の河』と出会ったのは、20歳のときであった。
小説というものが、こんなにも美しく感じたは、初めてのことだった。
命をわしづかみにされて、ゆさぶられた...
そして、宮本文学の世界に惹き込まれていったのである。
以来33年間...すべての作品を繰り返し読み続け、ずっと宮本文学に寄り添って生きてきた。
このブログにも書いてきたので、ここには書かないが
まさに、生きるよすがなのである。


目の前を流れる川は、当時とは全く様相も異なるであろうが
この黒い川こそが、自分の生まれた場所のように思えて、動けなくなった。
夕暮れの時の景色も観たいと思って、川辺に腰かけ時を待った。
鞄から作りかけのペーパーナイフを取り出して、サンドペーパーで仕上げをしながら
対岸に見える端建蔵橋のたもとに暮らす信雄の一家と
船の家に生きる、家族の哀しみを想った。


陽が暮れて、あたりが暗くなったので土佐堀川に沿って歩き...中之島駅へ...

そして京阪電車に乗って、京都に向かう。
以前の職場の後輩、今はライターをしているM君と会うため...
ところが、こちらの連絡がぎりぎりだったので、返信がなかなか来ず
とりあえず、京都の夜散策  鴨川から...

以前も撮った、焼鳥屋の前の透明人間...(脚だけ写ってるの…)

祇園の白川あたりは以前、桜の時期に来たことがあるお気に入りの場所
イチゲンを寄せ付けないような店が川沿いに並び、店の中の景色が
まるでドラマの一シーンのように、闇の中に浮かぶ。



M君は、きっと忙しいのだろうなと思い、錦通り方面へ...
以前入った、町屋の居酒屋に行こうと思ったが、なかなか見つからない。
結局あきらめた時に目に入ったのが、一見高そうなお店...

この細い小道を入っていかねばならない感じが、余所者を寄せ付けない京都らしい


一人だと言うと、最初は断られたのだが、帰りかけると、空いてましたと呼び止められ
カウンターの一番奥の席に案内される。


京都といえば...万願寺と生麩は食べたいと思っていたので、それが入ったメニューを頼み、あとはお薦めの地鶏の刺身を半人前




新しい店のようだか、味はなかなかのものである。
器には、あまり凝っていないようだが…


周囲には一人で飲んでいる人がいないので、
カウンターの中にいた料理長が声をかけてくれ、名刺をもらってから四方山話
そのあと、隣にいた若い女子が、料理長に「店長さんですか?」と訊いたので
「料理長ですよ」と代わりに応えて名刺をみせる。


そこから会話が始まる。
可愛い女子2人とイケメン君1名 88年生まれだから、うちの娘と同い年
しばらく話に花が咲く。
M君から、今メールに気がついたとの連絡...
偶然にふらっと入った店で、偶然隣に座っただけのことだけれど
出会いというのは、やっぱり不思議だ。


こんなに若くてかわいらしい女性とお酒を飲める機会もないので
しばらく、会話を楽しませていただく。
しかし、折角の若者同士の語らい...
酔っぱらいオヤジにあまり付き合わせても申し訳ないので、
勘定を済ませて店を出る。


入ってきたときの閉塞感のある小路は、
反対から見ると、広い世界への発射台のように見えた。