祈りの文学

星宿海への道

星宿海への道

10年ぶりに、この本を開いた。
そして、深い感動の裡に一気に読み終えた。
2002年の冬の発刊だから、自分がブログに「への道」とつけたのは、
この本の影響だったのかもしれないが、はっきりした記憶はない。


中国の西端を旅行中、タクマラカン砂漠近郊の村から、自転車に乗って忽然と姿を消した50歳の瀬戸雅人。
彼の帰りを待つ千春と幼子のせつ...血のつながりのない弟紀代志がその足跡をたどるうちに
浮き彫りになってくる瀬戸雅人という人間の人生...

兄が私の両親の養子となり、私にとって二つ歳上の兄になったのは、
兄が八歳のとき、昭和三十年の冬でした。
ですが、それより一年前から、ほとんど毎日、私はマサトと盲目の母親が、
大正区の車の通りの多い道で、朝から晩まで物乞いをしているのを目にしていました。
マサトの母親は、足も動かすことができず、膝から先が内側に折れ曲がったままで、
移動するためには両腕を足代わりにして、道を漕ぐように動かすしかありませんでした。
年齢は四十歳くらいに見えましたが、何日も洗っていないと思われるほつれた髪や肌の色や、
疲弊してやつれた上半身の歪みが、実際の歳上りも老けさせてしまっていて、
あるいは三十二、三歳であったかもしれません。
そのころ、私たち一家は大正区のS橋の近くに住んでいたのですが、盲目の母親とマサトは、
S橋から大阪港へとつづく工場街に近い、名のない木の橋の下をねぐらとしていました。
いつ、どこから、その木の橋の下へとやって来たのか、私たちの近辺に住む人たちのなかで
知っている者はいませんでした。
    宮本輝『星宿海への道』

この作品は、かつて宮本氏がタクマラカン砂漠の近くで見かけた、盲目の母と娘の姿がモデルとなっている。
一瞬見ただけの親子は、悲惨な姿でありながら幸福そうな顔をしていた。
あの親子が、それからどうなっていくのか...
  (ひとたびはポプラに臥す...過去の日記
その姿を、戦後の大阪大正区という下町に置いたのだった。

私の記憶では、物乞いの親子をいじめる者はいませんでした。
親子には、侮蔑や嘲笑を軽はずみに浴びせられない、何か不思議な雰囲気がありました。
それは、巷にたむろする乱暴者や、幼い私たちにさえ伝わってくる、
ある種の荘厳さであったと言ってもいいでしょう。
汚れた、破れ穴だらけの、黒ずんだ服を着た、
目を覆いたくなるような境遇の親子から漂っていた荘厳さとは何だったのか。
私には適確に表現する言葉が、いまでもみつかりません。
少し自分から離れたところに行った息子を、聴覚を頼りに捜して招き寄せる際の母親の表情は、
それを目にした人々を思わず見惚れさせるほどに、愛情に満ちていました。
母親の周りで、ときおりひとりごとを言ったり、
道に落ちているガラスの破片や錆びた釘をおもちゃにして遊んだりしながら、
マサトは絶えず母親の体のどこかに触れていました。
その瞳に、境遇を哀しむ翳はなく、母親と一緒にいることが嬉しくて仕方がないという
輝きが失われることもありませんでした。
通りがかりの誰かがお金を投げてくれると、マサトはそれを拾い、背後から両腕を母親の首に巻きつけて、
固く抱きついていきました。
あれほどまでに、互いの愛情を示し合う親子を、私は他に知りませんでした
(前掲書)

ほどなくして母は死に、遺された雅人を「私」の両親が養子にする。


中学の書道の講師から聞かされた「星宿海」の伝説。
黄河の源流である星宿海は、旧い絵地図では瓢箪の絵として描かれていた。
星のような海...それは、瀬戸内の島で育った母が幼い日の思い出として雅人に語っていた言葉であり
雅人にとっては、亡くなった母と出会える場所として胸に焼きつく...


中学を卒業して小さな玩具メーカーに勤めた雅人は、一見何のとりえもないような地味な風貌ではあったが
謹厳実直で誰からも好かれ、頼りにされる人間に成長していった。


やがて、千春という恋人ができ、子供が宿る。
旅先からの手紙で、生まれてくる子が女の子なら「せつ」と名付けたいと望む。
千春は雅人の生い立ちの事を知らなかったが、「せつ」とは雅人の亡き母の名前だった。
千春は幸福のかたまりのようないつも微笑みを絶やさないせつを大事に育て
自分の道を一歩ずつ歩き出す。


瀬戸内のしまなみ海道の島々と海の描写は圧巻である。

不幸な人生を終えた実の母の名を、生まれてくる子につけようと望んだのは、
どんなことがあってもその子をしあわせにせずにはおかないという心のあらわれだったはずだ
 (前掲書)


解説のなかで文芸評論家の吉田和明氏は、このように描いている。
宮本輝の作品を<リアリズムに裏付けられた抒情>と評した後...

下層に暮らす人々を描く宮本さんの筆は絶品だ。
リアリズムによってではなく、述べたようにリアリズムに裏付けられた抒情の筆を持って、
それらは描かれている。
そんな宮本さんの筆の優しさにあふれる行と行の隙間から、やがて雅人の失踪の原因が、
雅人にとって「星宿海」がどんな意味をもつのものであったのかが、おぼろげに浮かびあがってくる。
 『星宿海への道』 解説 吉田和明

しかし、感動はそこからだけではない何かがあるとさらに思索する。

それは、諦めと辛苦の生活のなかにも、救済はあってほしいという宮本さんの<祈り>である。
名のない橋の下での雅人と実母の暮らしぶりを描く、宮本さんの筆使いを見てみればいい。
僕たちは、身につまされると同時に、そこに宮本さんの<祈り>を感受するからこそ、
心を揺り動かされるのだ。
(前掲書)


タクマラカン砂漠の旅でみかけた母子の姿...
どんな悲惨な生活であっても、幸福になってほしいという人間としての祈り...
戦後の貧しい時代に置き換えた物語は、祈りに満ちている。


あの西域への旅の旅行記『ひとたびはポプラに臥す』のなかで
レ・ミゼラブル」を書いてみたいものだ...という一行があった。
先日、映画『レ・ミゼラブル』を観て、原作を読み
改めて、この作品を読むと、
これこそ、宮本文学のなかの『レ・ミゼラブル』だったのではないかと感じた。


宿命の苦悩から再生へのストーリー...
人間の幸福への祈りに満ちた作品の数々..


次は何を読み返そうか...