天気予報は雨だったが、空を覆う厚い雲からは、まだなにも落ちてこなかった。
立山連峰は雪をまとっていたが、富山市内は雪の痕跡すらなかった。
銀蔵爺さんの引く荷車が、雪見橋を渡って八人町への道に消えていった。
雪は朝方やみ、確かに純白の光彩が街全体に敷き詰められた筈なのに、
富山の街は、鈍い燻銀の光にくるまれて暗く煙っている。
竜夫は背を屈め、両手に息を吹きかけ吹きかけ、いたち川のほとりを帰ってくると、
家の前で立ち停まって、すでに夕闇に包まれている川面を眺めた。
電線にまとわりつく雪がそこかしこでこぼれ落ち、身を屈めている野良犬を追いたてた。
昭和三十七年三月の末である。
西の空がかすかに赤かったが。それは街並みに落ちるまでには至らなかった。
光は、暗澹と横たわる大気を射抜く力も失せ、
逆にすべての光沢を覆うかのように忍びおりては死んでいく。
時折、狂ったような閃光が錯綜することはあっても、
それはただ甍の雪や市電のレールをぎらつかせるだけで終わってしまう。
一年を終えると、あたかも冬こそすべてであったように思われる。
土が残雪であり、水が残雪であり、草が残雪であり、さらには光までが残雪の余韻だった。
春があっても、夏があっても、そこには絶えず冬の胞子がひそんでいて、
この裏日本特有の香気を年中重く澱ませていた。
宮本輝『蛍川』
八人町は、富山駅からほど近い場所にある。昭和30年代はもっと寂しい場所だったと思われるが...
雪景色が見たかったな...
『蛍川』は、宮本文学との出会いであり、文学というものの美しさに引き込んでくれた作品だ。
宮本輝氏が9歳のとき(昭和31年)過ごした富山...父の事業の失敗...母との二人暮らし...
大阪の繁華街で育った少年にとって、ここは地の果ての寂しい街だったに違いない。
土が残雪であり、水が残雪であり、草が残雪であり、さらには光までが残雪の余韻だった...
そう、まさにそんな風景だ。濡れたアスファルト...鈍い光を放つ市電のレール
絶えず冬の胞子が潜んでいるような暗く重苦しい空気は、いまでも変わらない。
魚津の客先との打ち合わせは午後からだったので、午前中は少し先までドライブ
海沿いの街には残雪さえ見あたらないが、少し内陸に入ると一面の雪景色。
針葉樹だけが黒々と残っているほかは、すべての樹木がきれいに葉を落とされて、丸裸で立っている。
黒部川の清流が、真っ黒な龍のようにうねりながら横たわっている。
それにしても、なんと静かなのだろう....
小高い丘に立って、色もなく音もないモノトーンの世界を見下ろしていたら
自分のなかの汚れたものが、きれいになっていくような気がして
寒さも忘れて、しばらくそこに立っていた。