血が騒ぐということ

三連休は予定もなく、ほぼ自宅...
ただ、一日部屋にこもっているのも
不健康だと思って、外に出る。
日曜日は、自宅から車で10分の
新治市民の森へ...


冬の森は色もなく、さびしいと思っていたので、
今まで歩いたことがなかったのだが、
FBの友だちAさんの森の写真を見ていて、あまりにもきれいなので
自分でも見てみようという気持ちになって、この森を2時間ちかくかけてゆっくりと歩く。
紅葉は完全に終わって、落葉樹の葉はほとんど落ちて枝だけが寒空にふるえている。


「落ち葉」とひとくくりにしてしまえば、それまでだが
歩きながらよく見ていくと形は様々であるし、褐色といってもその濃淡の諧調が異なる。
新しい落ち葉には紅葉の名残があって美しい。
朽ちていく枯葉の間に温められた大地からは、新しい生命も...
森の中には、無数の生死が溢れてにぎやかなのだ。


なんと多くの生のかたちがあり、
なんと多くの死のかたちがあることだろう...






そして、今日も地元の遊歩道を歩く。
いつも歩いている道も、ゆっくり歩いていけば発見があるものだ。
落ち葉の間に、青い宝石のような草の実を見つけたり
枯れなかった紫陽花が赤く染まっていたり...
雪柳の紅葉がとってもきれいだったり...




歩いているうちに日が暮れて、スタバでコーヒーを飲んで身体を温め
夏樹静子の『女優X』と、宮本輝『血の騒ぎを聴け』を読む。
『女優X』は、最近FBで友だちになった伊藤さんからの戴き物
津和野で300年続く薬屋「高津屋伊藤博石堂」の当主九代目利兵衛さん
といっても女性なのだが...
女優Xは、五代目の妻だった伊藤蘭
高津屋に嫁いだものの、女優に憧れて家を飛び出し、新劇の大女優となった女性
血が騒ぐ...まさに、そういうことだったのだろうな...
(感想は後日読了してから...)

ひとたびはポプラに臥す(5)

誰が何をどのように言おうが、やはり私は二十七歳のあの日、会社勤めをやめて、
作家になるために小説を書きだしたことであろうと思った。
結婚してまだ二年で、長男が生まれて、そのうえ妻のお腹のなかには二人目の子供がいる。
母は六十に近いのに、ホテルの従業員食堂で働いている。
私は強度のノイローゼで癈人同然だ。
それなのに、私は会社をやめて小説を書きだした。
それまで一度も小説なんか書いたことはなかった。
そんな私を知る人のほとんどは、「あいつは気が狂った」と言った。
だが、私は小説を書きたかった。この先どうなるのかは考えもしなかった。
体中の血が騒いだのだ。自分が書く小説で人間を酔わせ、感動させたかった。
その一点に向かって私は血の騒ぎをしずめることはできなかった。
是非なんかどうでもよかった。そこが極寒の吹雪であろうが、死の砂漠であろうが、
私は行ったにちがいない。
誰も私を止めることはできなかった。
そんな時代から二十年が過ぎた。
ここいらで仕切り直しをして、次の二十年に向かって歩き出さねばならない。
折しも、そのような時期に、なんとすさまじい砂漠があらわれたことだろう。
日本列島と同じ面積の、生きて帰らざる海...
この二十年、私の血は、そう簡単に騒がなくなり、少しずつ少しずつ臆病になり、
闘いにひるむようになり、姑息になり、傲慢さが増し、己の血の騒ぎに是非を説くようになったのではないか。
私の刃は、錆びつつあるのではないか。
    宮本輝『ひとたびはポプラに臥す』第14章 生きて帰らざる海

そう...血が騒ぐということがなくなった。
いつの間にか、臆病で姑息で傲慢になってしまったのだ...
このままでは、本当に枯れてしまう。
仕切り直しをしなければ... 
どうやって...がわからないけれど... 
自分の澱んだ生命のなかの、臆病や姑息や傲慢と闘わねばならない。
枯葉の隙間を縫って、新しい芽が突き出るように...


その他の写真→https://picasaweb.google.com/104915518421068648185/20121223