雲のスクリーン

今にも雨の降り出しそうな朝だ。
なにも、こんな日に曇らなくてもいいのに...
まあ、しかたない
でも、早起きしてしまったし...いつもより30分早く家を出る。
海老名に着いても天気は変わらず、太陽の位置さえわからないほど厚い雲。
諦めてスタバで朝食...スコーンを口に放り込んで、ホットコーヒーで流し込む。
7:35... 窓越しに外を見ていたら
空に向かって携帯をかざしている人がいるので
もしやと思い、コーヒーもカバンもそのままにして、外に飛び出す。
意外と高い位置で、雲の一部分だけが薄くなり、そこから光の環が浮かび上がる。
ちょうど、太陽の中心に月が来たピーク。
その瞬間だけ、雲が薄れたのだ。
もう少し厚かったら見えなかったし、薄かったら眩しくて肉眼では見えない。
絶妙な雲の厚みだ。

イカリエンテが店を飛び出したのを見て、スタバの店員も交代で出てくる。
通りかかった人と、二言三言、言葉を交わす。

普段なら空を見上げる人など誰もいない朝の街で、ほとんどの人が空を見上げている。
諦めかけていた天空のショーを不意に見ることができた表情は、一応に明るい。


見事に重なった太陽と月がずれ始めると、再び厚い雲がそれを覆い隠してしまった。
席に戻って冷めたコーヒーを飲みながら、少し読書をして職場に向かった。

桐原は...
「すばらしいことが天から降ってくるなんてことは、滅多にないよなァ」
と言った。
聖司は、確かにそのとおりだが、すばらしいことというのは、やはり突然、何の前ぶれもなく
思いも寄らぬところからやって来るものだという気はした。
しかし、何かを願って、それを求めて、一時間や二時間後に、
どこかから降って湧いて来るわけでもない。
願いつづけ、求めつづけ、そのために辛労を尽くしつづけたとき、
三年後、五年後、十年後、天はそれを思いも寄らぬ場所から差し出してくれる....。
<富貴、天にあり>とは、そのような意味ではないのかと思った。
だとしても、天とはいったい何なのであろう.......。
        宮本輝『にぎやかな天地』

「富貴、天にあり」とは、孔子の言葉である。

願い続け、求めつけ、辛労を尽くして…か
天とは… きっと自分のなかにあるのだろうな…