失業

年末からの悩みは、「失業」という形で決着がついた。
新横浜にある職安に行って手続き完了。人生2度目の失業になる。
迷惑をかける人がいるといけないので詳細の事情は書かないが、
走りに走ってきた3年半の仕事に、突然、終止符を打つことになった。
ただただ純粋に一点の曇りもなく、会社の発展のため、自分と同僚の幸福のために闘いきってきた。
しかし、自分の能力そして努力が届かなかった。
仕事を失うというのは、どう正当化してみてもやはり人生の敗北である。
また、一歩から歩き始めなければならない。
46歳...ほとんどの会社が必要としなくなる年齢。人生で最もコストのかかる年齢。
年明けから、挫折感に苛まれ、生活のプレッシャーに押しつぶされそうな眠れぬ夜を何度も何度も過ごしてきた。
職安への道をとぼとぼ歩きながら、何人かの友人にメールを送る。
K君から以前ムイカリエンテが話した"蓮の花"の話を返信してくる。
それは、蓮は水の底の泥の中から芽を出して、水面に清らかな花を咲かせる。
「泥の中で闘って、もう一度花を咲かせよ」と...
友人とは、なんとありがたいものか...

(この花は睡蓮)
職安で手続きを済ませて、気持ちを切り替えてまた新横浜駅への長い道を歩き出す。
イカリエンテ...今こそ命を燃え立たせなければならない。
平常時にいくら吠えたところで、決戦の時に力を出せなければ何の意味もない。
今まで多くの書を読み、この日記に記してきたのは、今日のためではないか
自宅近くの橋を渡るとき、夕陽が最後の力を振り絞って空を朱く染めていった。

帰宅してボロボロに擦り切れた本を開いて読み返す。

とにかく彼ら(ベートーヴェントルストイミケランジェロ...)は、
試練を日ごとのパンとして食ったのである。
そして彼らが力強さによって偉大だったとすれば、それは彼らが不幸を通じて偉大だったからである。
だから不幸な人々よ、あまり嘆くな。人類最良の人々不幸な人々と共にいるのだから。
その人々の勇気によってわれわれ自身を養おうではないか。
そしてわれわれ自身があまりにも弱いときには、われわれの頭をしばらく彼らの膝の上に載せて憩わせようではないか。
彼らがわれわれを慰めるだろう。(中略)
彼(ベートーヴェン)自身その苦しみの中にあって希念したことは、
彼自身の実例が他の多くの不幸な人々を支える力になるようにということであり、
「また、人は、自分と同じく不幸な一人の人間が、自然のあらゆる障害にもかかわらず、
人間という名に値する一個の人間となるために全力を尽くしたことを識って慰めを感じるがいい」
ということであった。
超人的な奮闘と努力との歳月の後についに苦悩を克服し天職を...
その天職とは彼自身の言葉によれば、憐れな人類に幾らかの勇気を吹き込むことであったが...
天職を全うすることができたときに、この捷利者プロメテは、神に哀願している一人の友に向かって
「人間よ、君自身を救え!」と答えたのであった。
彼のこの誇らしい言葉からわれわれ自身の霊感を汲み採ろう。
彼の実例によって、人生と人間とに対する人間的信仰をわれわれ自身の内部に改めて生気づけようではないか。
                      ロマン・ロランベートーヴェンの生涯』前文より

次元はあまりにも違うが、やはり苦闘の人生の歴史は、自分にとっても大きな励みになる。
さあ、今日からまた新たな戦いを開始しよう。