今日は少し元気を取り戻す。
身体の疲れは、精神の疲れと相関があるようだ。
昼からまた料理をしたり、散歩に出かけたり
明日の面談の書類をまとめたりしながら過ごす。
こんな日は、物事をあまり深く考えないで
終わってしまうのだが...
一日終わってみて
これでいいのだろうかという疑問もわいてくる。
今日一日無駄に過ごしてしまったような..
仕事がないということは、生きていて何も生産していないということだし
唯一の生産活動が、この日記...? なさけないな....いい歳の男が...
いつまでも、こんなことはしていられない。
(写真...白菜のコンソメスープ→)
昨日の日記に自分と向き合うと書いたが、
そう書いてみてから、ふと先日読んだ『花の降る午後』の場面を思い出す。
絵描きはなぜ自画像を書くのかという典子の問いに対して、
典子の年下の恋人で、駆け出しの画家である雅道が答える。
「行き詰まると、自分を見つめる以外なくなるのさ。
行き詰まるっていうのは、他者が見えなくなることなんだ。
人間だけじゃなくて、風景や物や....」と高見は言った。
「いまは?」
典子は訊いた。
「ちょっと窓があいたような気がするけど。
眼高手低って言葉がある。視線は深くまで行ってるんだけど、それを表現する 能力が劣っている。
いまは、その反対の連中が、人目をひく時代さ。
でも、能力のないやつが、大きな理想をかかげて自己満足するよりましだよ」
高見は景色に目をやって、そう思った。
「雅道の理想って何?」
「俺の絵を見た人を、うっとり、気持ちよくさせることさ。
寂しい風景に、うっとり立ち停まらせる。陽気な色の前で、ほのぼのとさせる。
それが芸術だと思ってるんだ」
最近の自分は、日記に自画像ばかり書いているような気がする。ずっとかな...
周囲を見ているようで、ぜんぜん見えていないんだな、きっと...
心が閉じている。
どうしたら、窓を開けられるのだろうか...
人を幸せな気持ちにできるような人間になりたいと思っていたし
この日記も、最初はそこから始めたはずだったが
今は、全く逆方向に迷走している。
人生そのものが迷走しているからに他ならないのだが...
どう生きればよいのか見えない。
結局は「能力のないやつが大きな理想をかかげて...」ということなのかな。
考えれば考えるほど、自分という人間の頼りなさ、不甲斐なさに行きあたるだけだ。
太陽は、悠然と昇り、悠然と沈んでいく。
いかなる嵐が吹き荒れようとも、その軌道を外すことがない。
あたりまえだけれど...すごいことだな。