辛抱ということ

毎朝4時半に起きて5時半に出発という生活と
足を滑らせたらビルの7階から堕ちるような
危険を伴う現場で神経を使い、
仕事が終わるころにはへとへとに...
帰りも2時間、電車では座れるのを幸いに
ぐったりとして寝てしまう。


読書のペースは自然と落ちる。
山本周五郎の『ながい坂』を読み始めたのはずいぶん前になるが...
途中で他の本を読むこともあり、ずいぶんと時間が経ってしまった。

ながい坂 (下巻) (新潮文庫)

ながい坂 (下巻) (新潮文庫)

下級武士に生まれた小三郎は、8歳のときに権力による理不尽を目の当たりにし
屈辱を味わう。
この瞬間、彼は深く憤り、人間として目覚める。
徹底して学問と武芸を磨き、頭角をあらわしていく。
成長して三浦主水正(もんどのしょう)と改名。
藩でも異例の抜擢を受けて藩主の計画する大事業の責任者の命を受ける。
しかし、藩主継承をめぐって、主君が匿われ、主水正自身を命を狙われるはめに..
国元では百姓に身をやつし、また江戸では町人となって、反転の機を待つ。
しかし、好機が訪れぬまま月日が経っていく。


身を隠すために、荒れ地の開墾をしている村...
多くの人は逃げ出してしまった中、関蔵という男が投げやりになって暴れ、
それを止めた主水正に向かって語りだす。

「おまえさんは賢い人だ」と泣きながら、仰向きに倒れたまま関蔵が云っていた、
「おまえさんは賢いし、学問もあるようだし、いろいろと難しいことも知っているようだ。
けれども世の中には、おまえさんの知らないことが幾らでもある。
どんなに賢く、どんなに学問があっても、それだけではわからないようなことが、
世の中には山ほどあるんだ、
おらがいま、なぜこんなことをし、なぜ泣いているかということが、おまえさんにわかるか」
世の中にこれはたしかだと、いえるような物は、なに一つとしてない。
汗水たらして仕上げた物も、十年と経たないうちに捨てられたり、壊されたり、
腐ったりしてしまう。
人間と人間の愛情だって同じことだ。
いっしょになれなければ死んでしまう、というほどの仲でさえ、
三年も経てばお互いが飽きて、大欠伸をするようになってしまう、と関蔵はいった。

主水正は彼らの辛苦を知り、関蔵を見据えて語りかける。

「人間のすることは、むだなものは一つもない」と主水正は云った。
「眼に見える事だけを見ると、ばかげていたり徒労だと思えるものも、
それを繰り返し、やり直し、積み重ねてゆくことで、人間でなければできない大きな、
いや値打ちのある仕事が作りあげられるものだ...(中略)

人間は生まれてきてなにごとかをし、そして死んでいく、
だが人間のしたこと、しようと心がけたことは残る、いま眼に見えることだけで善悪を判断してはいけない、辛抱だ、辛抱することだ、人間がしなければいけないことは辛抱だけだ、わかってくれるな、関蔵」

しかし、その夜自らの来し方を思い返しているうちに、暗澹とした闇の中に落ちていく。

主水正は突然、身も心も萎えるような、暗いみじめな虚脱感におそわれ、
俯向けに寝返ると、両手で敷き夜具を掴み、うめき声を抑えるために、顔を夜具に押し付けた。
彼にとっては、生まれて初めての、形容しがたい苦悶であった。(中略)
こんなにもみじめで真っ暗な、息苦しい自己否定にとらわれたことはなかった。

子供のころから自らに厳しく生き抜き克ち続けてきた男
先の見えない暗闇の中で、苦悶の底に沈んでいく。
やがて、立ち上がり、より人間らしく闘って勝利していくのだが...


どんな強い人間でも、そういうどうしようもない苦しみはあるのだと...
読者を激励するような、作者山本周五郎の心に胸が熱くなる。
自分の中には「関蔵」も棲んでるし「主水正」も棲んで居るはずなのだ。


辛抱だ、辛抱することだ、人間がしなければいけないことは辛抱だけだ...
重い言葉だな...
「辛抱」とは...辛い思いを抱きしめる と書くのだと、ふと気がついた。
この数カ月、否2007年のベンチャー会社の破綻から約3年もの間...
なぜ自分だけがこんなに辛い思いをしなければならないかと嘆いてきた。
誰に強制されたのでもない、じぶんが選んできた道...
いまの自分は、社会に負けたのではなく、自分に負けてしまっている。
辛抱しなければならない。すべて抱きしめて...そして、自分に勝たねばならない。
道は長く、道は遠いな...