橋にかかる藤

初夏のように暑い一日
午後から隣駅まで続く緑道を散歩
新緑の木々に覆われているので、
この中を歩くのは心地よい。
連休で皆どこかに行ってしまったのか
人影もまばらで...
緑の中をゆくりと歩く。

水面に映る緑も美しい。



住宅街の間を縫って造られたこの公園は車の音も聞こえず静かだ。
小川のせせらぎと、鳥の声と...時おり通り過ぎる子どもの声くらいしか聞こえない。
春を待って一気に伸びあがった草花が美しい。

途中、道路を超える橋を渡って、ふわっと甘い香りが漂う。藤の花だ。
誰が植えたのか...橋の欄干一杯に藤が見事に咲きほこっている。

大きな池のほとりにある叢にあった切り株に腰をおろして小休止。
途中のコンビニで買ったビールを飲みながら、文庫本をひろげる。
牛ガエルが啼きだす。

人間というもの PHP文庫

人間というもの PHP文庫

司馬遼太郎...20代の頃にずいぶん読んだものだが、30代以降ほとんど読んだ記憶がない。

「世は、絵で言えば画布である。そこに筆をあげて絵をかく。なにをもって描くか、志をもってかく。それが志だ」
継之助の志とは、男子それぞれかもっている人生の主題というべきものであろう。
                         『峠』
竜馬は「人生は一場の芝居だというが」と、かつていったことがある。
「芝居と違う点が、大きくある。芝居の役者のばあいは、舞台は他人が作ってくれる。
なまの人生は、自分で、自分の柄に適う舞台をこつこつ作って、そのうえで芝居をするのだ。
他人が舞台を作ってくれやせぬ」
                          『竜馬がゆく 三』
認識は、わけ知りを作るだけであった。
わけ知りには、志がない。志がないところに、社会の前進はないのである。
志というものは、現実からわずかばかり宙に浮くだけに、花がそうであるように、香気がある。
                          『菜の花の沖
夜空を見ている。ときどき星を吹きとばすような黒い風が、轟っ、とうなりをあげて天を吹き過ぎてゆく。
竜馬は自問自答した。
無明長夜であるからといって、路傍に腰をおろすこともなるまい。おれは歩きつづけてゆかねばならん)
                          『竜馬がゆく 六』

花が香り立つような「志」か....

自分には、この志つまり人生の主題の部分が大きく欠落したいるのではないだろうか...
志を持たねばならぬ。 いまさら遅くはないか? 否、それでも歩くしかない。


今日から この場所から...