美しい人間

今週も京都出張
合間の時間に季節ごとの京都を
歩くことができるのは嬉しい。
午後のアポイントだったので
早朝に家を出て10時前に京都着
名古屋は快晴だったのに
京都は霧雨が降ったりやんだり...


思いつきで電車に乗って、京都の山科へ...
ぶらぶらと歩いていると、酔芙蓉の花が咲いていた。
朝開いたばかりの花は、細かい雨粒をためた水滴で輝いていた。
朝純白の花を開き、徐々に薄いピンクに色づいて夜には完全に赤くなる不思議な芙蓉。
芙蓉の花は古くから美人の譬えに使われてきた花だが
その美人が、酒に酔ってほんのり赤く染まっていくことから、この名前になったようだ

午前中なので、ほとんど白い花ばかり..
よく見ると、花びらの裏側の外周から染まり始めていくようだ。

一日花なので、昨日の花は赤くなってすでにしぼんでいる。
石段に落ちた花も美しい。

儚いといえば儚いが
人の一生も、宇宙の時間からみたら儚いわけで...
きちんと生きて、美しく終わらねば...


白痴 (上巻) (新潮文庫)  白痴 (下巻) (新潮文庫)
ドストエフスキーは『白痴』で何を描こうとしたのか
それは「無条件に美しい人間」「完全に美しい人間」であった。
汚辱にまみれた人間社会の中で、何物にも汚されない美しい人間
白痴のムイシュキン公爵という人間像を、ドストエフスキーはこよなく愛した。

この長編の主要な意図は無条件に美しい人間を描くことです。
これ以上に困難なことは、この世にありません。特に現代においては。
あらゆる作家たちが、単にわが国ばかりでなく、すべてのヨーロッパの作家たちでさえも、
この無条件に美しい人間を描こうとして、つねに失敗しているからです。
なぜなら、これは量り知れぬほど大きな仕事だからです。
美しきものは理想ではありますが、その理想はわが国のものも、文明ヨーロッパのものも、
まだまだ実現されておりません。

(中略)
...最も完成されたものはドンーキホーテです。
しかし、彼が美しいのは、それと同時に彼が滑稽であるためにほかなりません。
(中略)
他人から嘲笑されながら、自分の価値を知らない美しきものにたいする憐側か表現されているので、
読者の内部にも同情が生れるのです。この同情を喚起させる術のなかにユーモアの秘密があるのです。
ジャン・ヴァルジャンも、おなじく力強い試みですが、
彼が同情を喚起するのは、その恐るべき不幸と彼にたいする社会の不正によるのです。
私の作品にはそのようなものがまったく欠けています。そのために私はそれが決定的な失敗にな
るのではないかとひどく恐れています。
                 1868年1月1日 ドストエフスキーの手紙

生活苦のために筆をとらざるを得ない状況で描きはじめ、
そして、「無条件に美しい人間」は結実した。


登場人物は、いずれも極端な人間ばかりであるが、まさに社会の縮図である。
精神の病で療養のためスイスに行ったムイシュキンは、そこで大人になり、
ロシアに帰ってくるのだが、その無垢な人間性は、会う人すべてを魅了していく。
レフ・トルストイも、この長編を読み、ムイシュキン公爵について

これはダイヤモンドだ。その値打ちを知っている者にとっては何千というダイヤモンドに匹敵する

と絶賛したという。
実はまだ下巻に入ったばかりなのだが...
イカリエンテは、美しい人間を目指して、ムイシュキン公爵によりそって読み進めていきます。