お散歩@海岸通り

午後から、2カ月に一度の心療内科...
簡単な問診を受け、
いつもの リフレックスを処方してもらう。
自立支援医療受給者証の期限が切れるので
更新のための診断書も依頼。


病院が横浜スタジアムの近くなので
そのまま海の方へ散歩
開港記念館から県庁の脇を通って
税関の横から海岸に出る。

大桟橋には、客船が二隻。飛鳥2とふじ丸が停泊中...
蒼い空の色が、そのまま海に映っている。
気持ちのいい天気だ。
海を見ると、横浜に生まれてよかったな〜と思う。
元旦にも見たのだが、今日も西の空に彩雲が...
何かいいことあるかしら?

赤レンガ倉庫には車の列が...未だに人気スポットなんだな。
昔の姿を知っている自分にとっては、きれいになりすぎてなんだか興ざめしてしまうのだが...
赤レンガが改装され観光スポットになったのは2002年だから、まだ10年余。
イカリエンテが若い頃は、旧い港の倉庫街だった。
父が若い頃油絵をたしなんでいたので、子供の頃に連れてこられた記憶も...
船の油の臭いや、油絵具の匂い..そして油の浮いた虹色の海面...
横浜港の記憶は、そんなにおいとともに残っている。
赤レンガは倉庫として機能しなくなり、ドラマのロケで使われていた。
高校時代にクラスで8ミリ映画を作ったときにも使ったな
あのころの寂びれた感じがよかったのだが...
今は建物も道路もきれいに整備され、環境規制のためか、油のにおいもしなくなった。

一瞬の思い出の光景というものは、私の場合、どれも晴れているのに光がなく、
光がないのに影があるという、言葉にすれば、すべてが「セピア色」として定着している。
楽しかった光景も、哀しかった光景も、ある年月を経ると、動かないセピア色となるのは、
それが私のなかで新しい何かを生みだす種子の役割を担うからではないかと思う。
種子は青々としていない。どんな種も、黒かったり茶色だったりして、
そこに新しい命が隠れているようには見えないからだ。
      宮本輝『ひとたびはポプラに臥す』

そう考えると、写真などというものはリアルすぎて、後で見ると自分も他人のようにさえ見える。
思い出は記憶のなかにセピア色のまましまっておいたほうがいいのかもしれぬが...
小学校6年生の時に父が独立してからは、商売がずっとうまくいかず極貧の生活に転落していった。
米さえ買えないような思春期...中学生から大学生にかけては、学校以外で写真を撮ることもなく
哀切な思い出はセピア色に化して、心の底に静かに沈殿している。
それが種子になっているとすれば、そこから何が芽生えたのだろうか...


大桟橋を一周し、しばらく海を眺める。風が冷たい。


大桟橋を出て、関内駅の方向へ歩き、伊勢佐木町から野毛経由で桜木町へ...
昭和のにおいが残っているのはこのあたりだけなので、ここらを歩くとちょっと安心する。
ゴールデンセンターの地下にある立飲み屋でホッピーを一杯