『ケネディからの伝言』

参議院選挙が1週間後に迫っている。
選挙があると読み返すのが、この本。
15年ほど前に、会社の同僚に薦められて読んだ。
ケネディー兄弟のスピーチを通した伝記。
ケネディからの伝言
1961年、J・F・ケネディーが、アメリカ合衆国第35代大統領に就任。
イカリエンテが誕生した年である。
まさに激動の時代。東西冷戦・ベルリン危機・キューバ危機・黒人の人権闘争そしてベトナム戦争前夜。
中国では文化大革命の時代...
難病・宗教そして年齢という大きなハンディキャップを抱えながら、果敢に不可能に挑戦し
大いなる理想を説いて民衆を惹きつけ、ニクソンを破って大統領に就任する。
そのスピーチは、言葉が力強くそして美しい。
(写真は、本の中に掲載されていた偉大な写真家コーネル・キャパによるもの)

多くを与えられている者には多くが要求される。
そして、いつの日か、歴史という高貴な裁きの場で、われわれが国家に対するつかの間の奉仕において
どれだけの責任を果たしたかが問われることになろう。
そのとき、4つの疑問に対してわれわれがどう答えるかで審判が下されるだろう。
第一に、われわれには真の勇気があったか?
その勇気とは単に敵に対するものでなく、必要とあらば仲間に対しても立ち向かうことのできる勇気であり、
公のプレッシャーだけではなく、私的な欲望にも立ち向かえる勇気である。
第二に、われわれには真の判断力があったか?
未来と過去を真正面から見つめ、自らの過ちを認め、自分たちの限界を知り、それを認める勇気があったか?
第三に、われわれには真の尊厳があったか?
自らの信念を貫き通し、人々の信頼を裏切らなかったか?
政治的野望や金銭的欲望のために神聖なる任務を汚さなかったか?
最後に、われわれは真に国家に献身したか?
名誉を特定の人間やグループに妥協せず、個人的な恩義や目的のために道を曲げず、
ただひたすら公共のため、国家のために身を捧げたか?
勇気・判断力・尊厳・そして献身...これら4つの要素が私の政権の活動の基準となるであろう。
(1961年1月 マサチュセッツ州議会最後のスピーチ)

今の日本に、こんな高潔な格好いいスピーチができる政治家がどれだけいるだろうか?
ケネディの言葉は美辞麗句だけではなかった。内閣には党をも超えて一流の人材を結集した。
彼の3年間の在任中、ワシントンでは一切の汚職もスキャンダルもなかったという。
今の日本の政治家の中に、これだけの哲学を持ち民衆のために本当に働いている人はどれだけいるだろうか?
閣僚クラスの人間が、次々に問題を巻き起こす体たらく。こんな人間には政治哲学のかけらもない。
尊厳もなく勇気もなく、献身もしていない政治家は、自ら辞めるべきと思う。
揚げ足を取て責める野党も、内容のない批判ばかりでまともな対案も出せない。
耳障りのいい夢のようなマニフェスト。選挙前だけで終わってしまえば何もしないのがいつものパターン。
マスコミの論調に流されて、一気に流行に乗ってしまう日本人。
これほど投票率が低く、そして浮動票の多い国も珍しいだろう。
誰が本当に闘っているのか?誰が本当に言ったことを責任を持って実行しているのか?
良識を持って審判しなければならない。