2015年のおわりに

2015年の最後のブログは、息子のことを書こうと思う。
ブログには、極力家族のことは書かないできたし
これからも、それに変わりはないが...
今年は、息子にとっても、そして自分にとっても忘れ得ぬ一年であったから
これまでのことをまとめて残しておこうと思ったのだ。


息子は建築デザインの仕事をしている。
あとで紹介する書籍に実名も会社も書かれているので、そのまま書くが
日本橋にある、山崎健太郎デザインワーショップという会社にお世話になって
今年で丸5年ということになる。
  

事務所のホームページ →→→ http://ykdw.org/


山崎氏は、息子の大学の研究室の先輩であり、
これからの日本の建築デザインを背負っていくような素晴らしい若手デザイナーである。


息子は大学時代に、この先輩の事務所でお世話になり、そのまま就職した。
大学院を卒業して、いきなり言い渡された現場は、なんと中国の昆明という地方都市であった。
個人の事務所で、いきなり中国に派遣? 大丈夫なのか?
卒業を前にして、その話を聴いて不安になり、山崎氏に面会を求めた。
大学の食堂に現れた山崎氏は、とても若くそして美しい青年であった。
親が息子の会社に口を出すのは間違っているかもしれないが
話があまりにも性急すぎる。そして、見えない。
こちらの不安と、最低限の要求を話し、説明を受けた。
山崎氏は、誠実で嘘を言うような人柄には見えなかったが、仕事の内容がどうやってもつかめなかった。
それでも息子と山崎氏を信じて、若いうちはなんでも経験と自分に言い聞かせ、承諾したのだった。


半年後に一度帰国し、一年後に日本に帰ってきた。
元々多くを語らない息子なので、仕事の内容を聴いても、よくわからないところもあった。
このたび、その中国のプロジェクトの仕掛人 榎本氏が本を出版され
彼の中国での奮闘記を書かれた中に、息子が登場しているということで、購読。
やっと経緯がつかめた。
昆明にある雲南大学で日本語を教えながら、ビジネスを模索していた榎本氏がであったのはインテリアデザインの会社
そこから分離独立した会社で、デザインの仕事を拡大していく中、日本人のデザイナーが必要になり
日本にあるデザイン会社100社にメールで直接募集をかけた。
それに応じたのが山崎氏であった。
そして、息子に白羽の矢が立ったのだった。

山崎さんからの初めてのメールが届いたのは。。月末だった。その後メールで何度かやり取りした
後、部下である上野正明君が昆明に派遣されることになった。
 上野君はまだ大学院生で、来春卒業の予定である。経験者の派遣が我々の希望たったため、経験的
に十分なのかどうか、弘佳内部で事前に検討された。筆者は上野君を呼ぶべきだという立場で、「な
ぜならに野君は大学院時代、山崎さんの事務所でずっとアルバイトをしていたから、それなりに力も
ついているはずだろうし、彼の足りない部分はネット上で山崎さんがフォローしてくれるという話
だったから」と述べた。それに対し、会長や梁部長たちも特に大きな異論はなく「じゃあ、そうしよ
うか」いう結論になった。我々には他の選択がなかったから、そもそも異論が出にくいのだった。
 筆行は嬉しかった。なぜなら山崎さんは日本でもトップクラスのセンスの持ち主に思え、そんな人
が我々に関わってくれたら最高だと思ったからである。深津さんに山崎さん...。筆者、いや弘佳に
さらなる僥倖が舞い降りた気がした。一方で日本人がもう一人増えれば、求められる利益も増えてく
る。その意味でのプレッシャーはさらに高まった。
 部下の上野君は当時二四歳。経験の浅い若者がいきなり海外で仕事をするのだからさぞかし不安に
思っているだろうと思い、翌二〇一一年一月、筆者が日本に帰省した際に直接会って説明することに
した。
  榎本雄二『デザイナーの頭の中を覗く』


大人たちの心配をよそに、息子はその話に何の躊躇もなく即答した。
「行きます」不安なこと...「特に、ありません」
なんと男らしいこと...


それから一年の息子の奮闘も、この本に紹介されていて、やっと当時の様子がわかった。
普通にサラリーマンになっていたら、5年も10年もやらせてもらえないようなことを
この一年で一気に経験させてもらった。
偶然に偶然が重なって出会った人々と一緒に、共同生活をしながら、悔しい思いも楽しい思いをもしながら
異国の地で一年を走り抜けた。


帰国後、日本の事務所で働くようになって四年
仕事の帰りは、毎日夜中の一時過ぎ
最寄駅の地下鉄は終電が早いので、わざわざ遠い東急線の駅まで自転車通勤
休みは、年間10日もあるかどうか...
いわゆるアトリエ事務所といわれる個人事務所は、そんなものだと聞いていたが
さすがに心配になる。
それでも、息子は愚痴ひとつこぼさずに、黙々と仕事に通う。


昨年は二つの大きな仕事を掛けもって、大詰めになった時、現場で倒れ、救急車で搬送された。
過労であった。3日家で休んで、そしてまたいつものペースに戻っていった。


息子が担当として任されていた二つの現場というのが、
千葉の『はくすい保育園』と佐賀の『さやのもとクリニック』である。
建築デザインというのは、一人でできるものではない。
大事なのは、この本にも書かれているが、最初のコンセプト作り。
客先との綿密な打ち合わせからすべてが始まる。
息子がどこまで任されていたか、細かいことはわからないが
4人の会社で、それぞれの仕事もある中、かなりのウエイトがかかっていたと思われる。


そして、その二つの作品は、完成後 数々の賞を受けることになる。
今年は、そのオンパレードであった。
事務所としての作品であるから、息子の個人名は一切表には出ない。
会社だから当然のことである。
しかし、息子が任された作品が、こうして世間に認められ賞を次々に獲得し
海外を含めて多くの建築専門誌に紹介されるということは、本当にしあわせなことである。


宮本輝先生の『森のなかの海』という小説の中で、こんな親子が登場する。
神戸に住む、明るい夫婦と、成績優秀な息子、その下に三姉妹
阪神大震災で三姉妹を遺して、両親と兄は亡くなってしまうのだが...
父親は、工務店につとめていたが、会社が倒産して、
請負の大工仕事をしながら臨時雇いのタクシーの運転手をして家計を支えている。
兄は、必死に勉強して国立大学に合格するのだ。

「〈われ勝ちぬ愚息の解きし試験見て〉。お父ちゃんの作った川柳やけど、私はこれを読んで、
お兄ちゃんが大学の入試に合格したとき、お父ちゃんがどんなに嬉しかったかがわかって、
そうや、あんなに勉強のできる息子を待ったお父ちゃんの勝ちやって言うたら、お母ちゃん
が、この『われ』というのは私のことやて言い返して、みんなで大笑いしてん」
 俺には、この試験の問題の意味もわがらん、よくも俺の息子が、こんな難しい問題を解い
て国立大学に入ったものだ。そんな息子の父であることが嬉しい。俺は名もない大工だが、
俺は勝った...。
  宮本輝『森のなかの海』

森のなかの海(上) (光文社文庫)

森のなかの海(上) (光文社文庫)

自分は、息子が大事な節目の時に、いつも躓いてきた。
息子の大学受験の直前に会社をリストラになり、仕事を失った。
息子の大学在学中には、会社が経営破綻して再び失業
大学院の時には、会社の不正行為が発覚して摘発され三度目の失業
のべ二年もの失業をして、どれだけ不安を与えてしまったのか、量り知れない。


そんな中で、ぐらつかずに勉学に勤しんできた。成績表はSとAばかりが並んでいた。
仕事も、毎日毎日夜中まで何をしているのかもわからなかったが
こうして、5年後に結果が出たことは、至上の歓びを感じるのである。


自分は、40代後半から敗北続きの人生だったし、
今なお、理不尽な想いを抱きながら食うためだけに会社に通っている。
しかし、息子のことを思うと、先ほどの川柳を思い出すのだ。
われ勝てり...
自分は出張ばかりで、息子の教育には何も関わっていない。
ある程度の年齢から、一緒に遊んだ記憶もほとんどない。
それでも、こんな息子の父であることが、心底誇らしく嬉しいのだ。


最近54歳になり、振り返ってみるが、自分には何もない。
この世にひとつも貢献もせず、社会からはほとんど必要とされない人間ではある。
それでも、息子がこうして活躍し、またこれからもさらに成長していくのだろうと思えば
生きてきてよかったのだと思う。


われ勝てり...
誰も信じてくれなくとも、一人呟きながらにやついて
歩いていけそうである。


雑誌KJ より

雑誌 新建築より

                                                                                                      1. +

二つの作品の主な受賞 
(ホームページで掲載されているものを書きとめたもので、
これで全部かはわからない)


さやのもとクリニック
グッドデザイン賞
2015 IIDA Global Excellence Awards
『Design for Asia Awards 2015』bronze
「WAN AWARDS HEALTHCARE 2015 SHORTLISTED 」
「JID AWARD 2015 部門賞+ゲスト審査委員賞」




はくすい保育園
グッドデザイン賞特別賞『未来づくりデザイン賞(経済産業省商務情報政策局長賞)』
ロンドンのArchitectural Review Emerging Architecture Awards commended
JCDデザインアワード2015』銀賞
『Design for Asia Awards 2015』silver
『2015年度JIA優秀建築選』
『2015年度JIA日本建築大賞・JIA優秀建築賞 現地審査作品』
「第9回 キッズデザイン賞 キッズデザイン協議会会長賞」