『人生の約束』

男は海の向こうにそびえる立山連峰を見上げていた。
彼は、自らのいのちがそう長くないことを知っていた。
親友の中原と一緒に立ち上げた会社を追われ、故郷の新湊に帰ってきたのだった。
街は、ある危機に瀕していた。
彼は、ぼろぼろになった身体を引きずって、その打開のために走った。
そんな中、一瞬も忘れなかったのは、一緒に闘ってきた中原のことであった。
事業の拡大にしか興味のない中原は、いつか道を踏み外す...
そのことだけが心配だった。親友、中原の幸福が最後の願いだった。
最期の力を振り絞ってかけた、友への電話...それは通じることなく力尽きる。
胸騒ぎを感じた中原は、男の故郷に駆けつける。
運河に寄り添う美しい街並み...そこから物語は動きはじめる。

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なだらかなアーチになった橋の上に立つと、東に伸びる運河の彼方に立山が見えた。
今朝も漁に出ていたのであろうか...
両岸にどこまでも連なる漁船は、
何事もなかったように静かに眠りについていた。
錆びたトタンと板壁の家々が、水面で揺らめいていた。


富山の名所にはずいぶんと足を運んだが、
新湊に来たのは初めてのことだった。
射水に美しい街並みがあると言う友人の話を聞いて、地図を頼りに走ってきたが
どこにあるのかわからず、たまたま迷い込んだ道の先でこの運河を見つけたのだった。
まさか、一か月後に映画で同じ風景を観るなどとは....想ってもみなかった。


ブログが遅れ遅れになってしまい、一か月前のブログを書くための調べものをしているうちに
ここが舞台になった映画が今公開されていることを知り、慌てて映画館に走った。
『人生の約束』 

風景はもとより、人の心の美しさを描いた素晴らしい映画であった。
挫折からの再生、友への想い...そして、人と人との温かい繋がり...
美しいものに出会いたいという願いが、偶然を呼んで、この街に誘い入れてくれたのだな...
(注:このブログを書きはじめたのは1月23日)

(↑この写真の建物は、たまたま撮ったのだが、映画では一番大事な舞台として使われていた)

  

それにしても、なんと静かな街だろう...
海と海をつなぐ、たった2kmの運河には、流れもなく波もなく
潮の満ち干にしたがって水位を変えながら、小刻みに揺れているだけだった。
運河にかかるいくつもの橋を右岸に渡り、左岸に渡り
橋の上から、曇り空の映りこむ水面を覗き込んだり、家々の屋根を見渡したりしながら
人のいない河岸をゆっくりと歩いた。

映画のクライマックスで再現される曳山祭りのあの賑やかさは、いまは微塵もない。
その時、不意に越中八尾の街並みを思い出した。
おわら風の盆の、わずか一週間ばかりのために生きているような街と人々のことを...
ここも、きっとそうなのだろうな。
桜が春にいっせいに花を咲かせるまで、幹のなかに美しい色を静かにため込んでいくように
静かに懸命に生きながら、花開く時を待つ...
こんな街で暮らしてみたいな

映画では、事あるごとに、登場人物が橋を渡るシーンが出てくる。
此岸から彼岸へ... 
橋を渡るとき、人は何かに向かって一歩踏み出し、越えていくような気持ちになるのかな...


亡くなった男の家族や街の人々と出会い、中原は変わっていく。
そして、また街の人々も中原によって変わり、再び想いを燃やしていく。
漁村の荒くれ男とIT企業のスマートな社長が、ぶつかり合いながらも繋がっていく。


闘わずして異質なものを排除するのは、安易なことである。
しかし、そこには新しい空気が入らなくなり、停滞し腐敗して悪臭が漂う。
そこに安住してしまったもにには感じられなくなった悪臭が....


生命は、一瞬も休まずになにかと闘い続けている。
人も組織も、闘い続けてこそ清新を保てるのだな。



街を抜けて海辺に出ると、富山湾の向うに雪を頂いた雄大立山連峰がそびえていた。





おまけ  帰りに呉羽山から見た立山