いのちの色

最初の衣の前に立ったとき、背筋に電流が走り、全身が泡立っていった。
想像を絶する美しさに、神経が錯乱したのか...
一瞬止まっていた呼吸から、深いため息が漏れた。
いままで観てきた、どんな名画よりも深いため息だった。


それから後は、ただ夢の中を歩いているようだった。


志村ふくみさんという染織家を知ったのは、半年ほど前のこと...
『一色一生』という本を読んで、彼女の言葉に、彼女の生き方に心酔していった。
http://d.hatena.ne.jp/mui_caliente/20150417



紙面から色香が立ち上ってくるような、深く美しい文章から
彼女の作品がいかに美しいかは想像がついたが、
写真ではなく、いつの日か彼女が染めた糸を、織った衣をこの眼で観たい。
そう思っていた。


先日、ある国立の研究機関から依頼を受けて行った仕事の繋がりで
滋賀の企業を紹介されて、久しぶりに滋賀に行くことになった。
寄り道をできるところはないかとネットで検索していると
『志村ふくみ展』という文字が出てきた。
http://www.shiga-kinbi.jp/?p=18969
滋賀県立近代美術館は、訪問する客先のすぐ近くだった。
会期はあとわずか... なんという巡り合わせ!
引き寄せられたとしか思えなかった。


しかし、なんという美しさだろう...
35歳の作品から、本年91歳の作品まで...着物だけで69作
一作一作が放ついのちの輝きが、広い展示室に満ち溢れていた。
草木だけから染め出したとは、到底思えない色彩の豊かさ
絵巻物ほどにものを言う、繊細で大胆な織りの多様さ
年齢を重ねるごとに、色香を増してくる精神の柔らかさ


長い長いいのちの営みによって、植物の体内で生成されたきたいのちの色は
志村さんと出会って、そこから引き出され、新たないのちを吹き込まれる。
蚕のいのちから紡ぎ出された糸に染められ
機で他の色と折り重ねられることで、輝きを増していく。


そうしてみると、
ここに並ぶ衣の姿は、つまり志村さんのいのちの姿そのものなのだな。
若き日に、悲しみをいっぱい携えて、何度も挫折を繰り返し
一色一色に、いのちを傾けてきた人の姿なのだ。




一色一生 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

一色一生 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

ある榛(はん)の木との出会いのエピソードである。
道路拡張のために切り倒された榛の木をたまたま見かけ
道路に落ちていた引き粉を見たときに、はっとしてその木の皮を持ち帰ったときのこと...

釜に湯をわかし、木の皮を炊き出しました。熱するに従って、透明な金茶色の液が煮上
ってきました。私も地面にひき粉になって散っていたあの赤茶色をみた瞬間、これは染ま
ると思いました。何かに染めずにはいられない。何百年、黙って貯めつづけてきた榛の木
が私に呼びかけた気がしました。榛の木は熱湯の中ですっかり色を出し切ったようでした。
 布袋で漉して、釜一杯の金茶色の液の中に、純白の糸をたっぷりつけました。糸は充分
色を吸収し、何度か糸をはたいて風をいれ、染液に浸し、糸の奥まで色をしっかり浸透さ
せた後、木灰汁につけて媒染しました。発色と色の定着のためです。糸は木灰汁の中で、
先刻の金茶色から、赤銅色に変りました。まさに地面に散った木屑の色です。いえ、少し
違います。それは榛の木の精の色です。思わず、榛の木がよみがえったと思いました。
 榛の木が長い間生きつづけ、さまざまのことを夢みてすごした歳月、烈しい嵐に出会
い、爽やかな風のわたる五月、小鳥たちを宿してその歌声にききほれた日々、そして、あ
っという間に切り倒されるまで、しずかに、しずかに榛の木の生命が色になって、満ちて
いったのではないでしょうか。
 色はただの色ではなく、木の精なのです。色の背後に、一すじの道がかよっていて、そ
こから何かが匂い立ってくるのです。
 私は今まで、二十数年あまり、さまざまの植物の花、実、葉、幹、根を染めてきまし
た。ある時、私は、それらの植物から染まる色は、単なる色ではなく、色の背後にある植
物の生命が色をとおして映し出されているのではないかと思うようになりました。それ
は、植物自身が身を以て語っているものでした。こちら側にそれを受けとめて生かす素地
がなければ、色は命を失うのです。
(中略)
 ただ、こちらの心が澄んで、植物の命と、自分の命が合わさった時、ほんの少し、
扉が開くのではないかと思います。こちらにその用意がなく、植物の色を染めようとしても、
扉はかたく閉ざされたままでしょう。

  志村ふくみ『一色一生』

美術館を出たら、雨が降っていた。
先ほど見た琵琶湖の風景を織った衣が忽然と目の前に浮かび上がった。








写真は撮れなかったので、書籍から作品のいくつかを...