御射鹿池再び

風が止んで、水面のざわめきが鎮まると
足元に、絵のような景色が姿をあらわした。

空よりも蒼い空
雲よりも白い雲
森よりも深い緑

 

酸性が強く、魚も棲むことのできないその広大な池は
暗く冷たい水底をおし隠すように
鏡に変じて、空と森を映し込んでいた。

 

『緑響く』という、東山魁夷が描いたこの池の絵と同じ森が
目の前で微かに揺れていた。

カメラのファインダーを覗いて焦点に集中すると、目眩さえ感じる。
見事なる対象形の、現実よりも幻想に...生よりも死に...
心が引き込まれていくような気がする。

一歩踏み出そうとして、水をいっぱいに吸い込んだ苔に足を取られ
靴がずぶ濡れになって、慌てて後ろにさがる...
危ういものだな...人の心とは...

 体力とか精神力とか、そんなうわべのものやない、もっと奥にある大事な精を奪っていく病気を、
人間は自分の中に飼うてるのやないやろか。そうしみじみと思うようになったのでした。


 そして、そんな病気にかかった人間の心には、この曾々木の海の、一瞬のさざ波は、
たとえようもない美しいものに映るかも知れへん。
春も盛りになり、濃い緑色に変色してきた曾々木の海の、荒れたり凪いだりしてるさまを眺めて、
わたしはひとりうっとりとしていく。
 ほれ、また光りだした。風とお日さんの混ざり具合で、突然あんなふうに海の一角が光り始めるんや。
ひょっとしたらあんたも、あの夜レールの彼方に、あれとよく似た光を見てたのかも知れへん。


 じっと視線を注いでると、さざ波の光と一緒に、ここちよい音まで聞こえてくる気がします。
もうそこだけ海ではない、この世のものではない優しい平穏な一角のように思えて、
ふらふらと歩み寄って行きとうなる。
そやけど、荒れ狂う曾々木の海の本性を一度でも見たことのある人は、
そのさざ波が、暗いい冷たい深海の入口であることに気づいて、我に返るに違いありません。
                宮本輝幻の光

幻の光

幻の光

 

長い旅路の途中、どれほどの幻を見てきたことか...
どれほどの愚かな過ちを繰り返してきたことか...
それが現実だったのか幻かだったのさえ、いまは判然としない。
それでも、こうして生きている。


雲は瞬く間に空いっぱいに広がり、大粒の雨が落ち始め
水に映った森も空も、無数の波紋のなかに消えていった。

 

遠くで雷が鳴っていた。