あじさいの宇宙

栃木出張の往復の電車で
水上勉の『越前竹人形』を読み終える。
雁の寺・越前竹人形 (新潮文庫)
越前の山奥の小さな集落で生まれた主人公、氏家喜助
父の姿そのものの醜い容姿
子供のように背が低く、頭が大きく眼のくぼんだ、暗い表情...
これは、水上作品の『五番町夕霧楼』『雁の寺』の主人公にも共通する容姿なのであるが...
人々に罵倒され、母親の愛情に飢えながら生きている。
そこに現れる哀しく美しい女、玉枝は亡くなった父の情婦であった。
娼館で働く玉枝を妻として迎えるが、喜助は玉枝のなかに母を求める。
父が玉枝に残した精巧な竹人形を手にして、自らも玉枝のために竹人形を作り始める。
やがて、その技が京都の一流の人形問屋の目に留まり、成功をしていくのだが...


貧しくもまっすぐにに生きる人間の美しさとひたむきさ...
そして、生きることの哀しみに胸を突かれる。
人生は、なんと哀しみに満ちていることだろう。
そして、その哀しみは美しいのだ。


曇り空の東京に戻ったら、曇り空の下で美しく咲くあじさいを見てみたくなって、
駒込六義園、そして王子の飛鳥山公園へ...


まずは、駒込六義園」、枝垂れ桜を観るために毎年来ているが、この時期は初めて。
都内では最もお気に入りの庭園だ。
平日の、人気が少ない雨上がりで木立の中を、ひとり歩いて回る。

紫陽花の花にも葉にも、雨のしずくが残っていて、活き活きとしている。
見たこともないような、さまざまな種類の紫陽花
日本古来の紫陽花は、額咲きと言って周囲に花びら状の額があって、小さな花びらが中心に集まっている。
西洋紫陽花は、テマリ咲きと言われる一般的な形
接写して、その花を拡大すると、そこには星が集まったような宇宙がある。
宇宙の色は、なんと美しくて哀しい色だろう...
「哀しい 哀しい」と思いながらシャッターを押したら、写真もきれいに撮れた。



六義園を出て門の横から地下鉄南北線に乗って約6分。次に目指したのは王子の「飛鳥山公園
ところが公園内を歩いても紫陽花が見当たらない。
どうしたことだろうと諦めて、駅に向かう階段を下りて線路沿いに出ると
ここに延々と続く紫陽花の列...線路沿いの人がやっとすれ違える小道に沿って、約500m
1500株もの紫陽花が一斉に咲いている。
色も種類もとりどりである。





往復してから王子駅に向かうと、線路沿いの旧い建物が焼けた跡が残っていた。

駅前の立ち飲みでハイボールを一杯...そして地下鉄に乗る。


紫陽花の写真...たくさん撮ったので、あとはWebアルバムに載せました。
よろしければ、ご覧ください↓
https://picasaweb.google.com/104915518421068648185/20120622