『生きる』井上靖

Aさんが、ホテルエベレストビューから
写真を送ってくださった。
彼女は、銀座の高級クラブのママ
世界の絶景ポイントを旅しておられる。
3月にも、ギアナ高地アウヤンテプイに行かれ
今回も中国成都からカトマンズ経由でここ→
一生縁のないようなクラブのママとどうやって知り合ったか?
それは秘密です...


たまたま今読んでいる井上靖の『石涛』という短篇集の中に『生きる』という作品があり
ネパールのナムチェバザールという都市が出てきたので、Googleマップで調べてみたら、
ここから1kmのところにAさんが滞在されているホテルがあったので、あまりの偶然に驚いた。
Aさんにメールでお伝えしたら、ナムチェにも一泊されたとのこと...


井上靖氏は、中国西域からパキスタンアフガニスタン方面を随分旅されている。
『生きる』は、昭和60年に中国の楼蘭訪問がキャンセルとなり、食道ガンの手術をされた時の体験が記されている。
手術後ICUに移された時のこと....

私はもう何日も、何夜も、この世ならぬ平安な思いに包まれ、満開の桐の花の下に身を横たえていたのである。
なんという名の川か知らないが、かなり有名な大河の、その支流の、またその支流の、もう一つ、またその支流といった、
小さい流れが村を貫いている。村人たちは誰も、その流れを信じてはいず、流れは、いつかは消えるものと、そう思い込んでいた。
もし流れが消えると、その日から村は、無人の集落として、打棄てられねばならなかった。
そういう見方をすれば、かりそめの流れに支えられている、かりそめの集落に他ならなかった。
かりそめの集落に於て、土屋の散らばっている住居地区には、ほぼ、そのまん中と思われる所に、大きな池が横たわっていて、
その水辺には、みごとな桐樹が植わっていた。
この季節には、そのすべての桐樹が紫の花を咲かせている。私はその花の下で、この何日間か、昼を過し、夜を過していたが、
この紫の花も亦、"かりそめの花″と称ぶべきであるに違いなかった。
それはともあれ、一種言い難い、この世ならぬ平安な思いが、この奇妙な、かりそめの村に居る私を包んでいた。

その桐の花咲く村は、中国河南省の小さな村の情景だった。
そういえば、小説『孔子』の中で孔子が桐樹の下を散策して歩く姿が描かれていたな...


やがて、ICUから個室に移されると、眠りの際に出向く先は、桐の花の集落ではなくなる。

朝であれ、昼であれ、或いは夜であれ、寝台に横たわったまま、眼を瞑ると、
いつも決まってこの世ならぬ薄暮の静けさの中に横たわっている自分を感ずる。
どこか集落の端れあたりの、堤のような所にでも横だわっているのであろうか。
遠くに市場のざわめきのようなものが聞え、霧でも流れているような気配が、身の周辺に感じられる。
(中略)
この薄暮の集落と覚しき所への訪問は、私にとっては、他に替るもののない休息。
朝であれ、夕であれ、眼を瞑りさえすれば、前にお話したように、そこへ行くことができた。
入院中には、そこがどこであるか、ついに確めることができなかった、このふしぎな訪問先きが、
ヒマラヤ山中の標高三七〇〇メートルの村、ボーデコシ渓谷に落込む大斜面の集落、
曾て私たちが世話になった少年シェルパたちの生れ故郷・ナムチェバザールであることに、私か気付いたのは、
ほぼ1ヵ月先き、退院してからである。
私があとにも、先きにも、一度だけ、ヒマラヤ山地に入ったのは、昭和四十六年の秋である。
小型機でヒマラヤ山地に入り、集落ルクラで、二十六名の小キャラバンを組んで出発。
シェルパの村として有名なナムチェバザール、クムジュンなどの集落を経て、タンボチェ修道院を目指し、
そこで同行の山友達だちと、十月の観月の宴を張った。アマダブラム、カンテガの二つの雪山が、月光に輝いた美しさは、今も眼にある。
(中略)
がんセンター病院入院中の私か、何と言っても、疲れていたに違いない手術後の体を運んで行き、言い知れぬ安らぎを貰っていたのは
実に、この標高三七〇〇メートルの、ヒマラヤ山地の集落・ナムチェバザールだったのである。

異国の眠りの記憶が、どれほど生命を癒し続けたことか...
やがて退院して自宅に戻った井上氏は、窓から見える雑木や木漏れ日を見て「生きよう」と強く思う。

小さい生命の集り、小さい生命の模様、小さい生命の絨毯、....いろいろな言い方、称び方はできるが、
いま地面で揺れ動いているものは、もっとすばらしいと思った。
小さい生命の音楽、....これが一番いいのではないか。思わず口から出た詞である。
こう思った瞬間、ごく自然に、少しも気負わず、問題を自分自身のところに持って来て、俺も生きようと思った。
これまでも、生きようという思いに、心を揺られたことがなかったわけではないが、
いまほど素直に、自然に、生きようという想いが心に入り、小さく揺れたり、動いたりしながら、
静かに心のどこかに落着いて、座を占めたことはなかった。
座を占めて、そこに落着いたことはなかった。
私の生命も亦、この零れ陽のように、この生命だけが奏で得る音楽を奏でて、
素直に、自然に、静かに、汚れなく生きなければならぬと思った。

その場所から直接画像を送っていただいたことで、なぜか急に近しい場所に思え
井上氏の文章を読むことで、そこがいかに美しい場所であるかが手に取るようにわかる気がする。


「生きよう」という意志が弱まったまま、ただただ惰性で生きているだけの自分...
異国に行きたいな...本当の異国へ...