冬の日の憂鬱

突然憂鬱が来る。
昨日の自分の言動さえ、一々疎ましく思え..
重い気持ちのまま時間が過ぎていく。


年賀状の残りを書き終えてから、だらだらとネットを見て
夕方、歩いて近くのコンビニに年賀状を出しに行く。
西の空が赤くなっているのに誘われて坂をくだり
富士山がよく見えるマンションの外階段を上がっていった。
夕陽が見えると思ったけれど、既に沈んだ後だった。
西の空の下辺にその色だけが残っていた...寂しい色だ...

梶井基次郎の『冬の日』の情景が、強烈な質感を持って胸の底からせり上がり、内側から圧迫してくる。

街を歩くと堯(たかし)は自分が敏感な水準器になってしまったのを感じた。
彼はだんだん呼吸が切迫して来る自分に気がつく。
そして振り返って見るとその道は彼が知らなかったほどの傾斜をしているのだった。
彼は立ち停まると激しく肩で息をした。ある切ない塊
が胸を下ってゆくまでには、
必ずどうすればいいのかわからない息苦しさを一度経なければならなかった。
それが鎮まると堯はまた歩き出した。
何が彼を駆るのか。それは遠い地平へ落ちて行く太陽の姿だった。
彼の一日は低地を距てた灰色の洋風の木造家屋に、どの日もどの日も消えてゆく冬の日に、
もう堪えきることができなくなった。窓の外の風景が次第に蒼ざめた空気のなかへ没してゆくとき、
それがすでにただの日蔭ではなく、夜と名付けられた日蔭だという自覚に、
彼の心は不思議ないらだちを覚えて来るのだった。
(中略)
青く澄み透った空では浮雲が次から次へ美しく燃えていった。
みたされない堯の心の燠にも、やがてその火は燃えうつった。
「こんなに美しいときが、なぜこんなに短いのだろう」
彼はそんなときほどはかない気のするときはなかった。燃えた雲はまたつぎつぎに死灰になりはじめた。
彼の足はもう進まなかった。
「あの空を満たしてゆく影は地球のどの辺になるのかしら。
あすこの雲へゆかないかぎり今日ももう日は見られない」
にわかに重い疲れが彼に凭りかかる。
知らない町の知らない町角で、尭の心はもう再び明るくはならなかった。
                  梶井基次郎『冬の日』

誰も通らない踊り場で、冷たい風に吹かれて顔が冷えていくのを自覚しながら
その場から動けなくなってしまい、暗くなってから階段をゆっくりと降りて帰った。