同級生の葬儀

今日は、コメダでぱぱさんとランチをして
午後から町内の夏祭りの手伝いで公園へ..
暑い中での焼き鳥係は大変だ〜



お祭りを途中で抜けて港南区の斎場に向かう。
高校の同級生F君の葬儀に参列するためだった
一年生の時に同じクラスだっただけで、
当時地味だったムイカリエンテからは遠い存在で、付き合いはなかった。
卒業してから恵比寿のK君を通して一緒にスキーに行ったり、
K君の経営していたお店で会ったりした程度の付き合いではある。
しかし、50歳前の急死というのはショックなことだな...


内装工事の作業中に熱中症にかかり、そのまま意識を失って病院に運ばれ
間もなく亡くなったとのこと。
ご家族にとっては、突然の別れになってしまった。
朝まで元気だった家族を突然失うというのは、どんな気持ちなのだろう。
しかも、彼のお父様が半年程前に亡くなられたばかりだった。
両親も健在である自分には、想像もできない。


焼香の際に、初めてご家族と対面したが
3人の息子さんが、参列者に会釈を繰り返している。
彼がずっとやっていたバスケットボールを、3人の息子さんも受け継ぎ
3人ともインターハイに出場されたとのこと。
まだ20歳そこそこの青年であるが、泰然とした面構えが父親によく似ていた。


参列者は非常に多く、高校の仲間も多く参列していた。
高校を卒業して30年ぶりに会う顔もいくつもあった。
予想以上の人でごったがえず斎場を後にして、仲間とファミレスで精進落とし...
故人を偲び、そして久しぶりにあった同級生と旧交を温める。
9時頃解散したが、帰る気になれずもう一軒。
いろいろなことを語り合っているうちに時間を忘れ、終電に間に合わず..


F君の思い出は、それぞれ違うし、悲しみの深さには差があるけれど
一通り記憶を手繰り寄せたら「ありがとう」と言って送りだせばよいのではないか
順番はどうあれ、ここにいる友人もいつか皆その時は来る。

乾河道―詩集

乾河道―詩集

「生と死」
...いま、われわれは生きている。
  しかし、やがて死ぬであろう。
誰の言葉であったか忘れたが、私は長い間、この言葉に惹かれていた。
随筆にも使わせて貰ったし、色紙にも書かせて貰った。


それが、いつか入れ替わった。
...やがて、われわれは死ぬであろう。
  しかし、いま生きている。
いつ入れ替わったか知らない。
謙譲で静かなものが、傲岸で激しいものに置き換えられてしまっている。
当然なことながら今の私は、
落ち葉よりも開花に、書斎よりも巷に、月の出よりも嵐の前触れに心惹かれている。


しかし、もう一度入れ替わることがある。
...曾て、われわれは生きていた。
  しかし、いま死んでいる。
ただ静かだ。
ここでは時代という大きな傾斜面のどこかで、
生と死が手を握っている。

               井上靖 詩集『乾河道』より

先日読んだ『三千枚の金貨』で引用されていた井上靖の詩集に出ていた詩。
シルクロードで生と死を見詰めながら書かれた文章を、
今日の思い出として心に刻む。



三千枚の金貨〈上〉 (光文社文庫)

三千枚の金貨〈上〉 (光文社文庫)

三千枚の金貨〈下〉 (光文社文庫)

三千枚の金貨〈下〉 (光文社文庫)