徒然草

静かな夜に一人思索をする時
小林秀雄の文章を読みたくなることがある。


ここに、小林秀雄の生誕百年記念の
『新潮』臨時増刊号がある。
Amazonでも売っていない貴重な本であるが
イカリエンテに読んでもらいたいと
Iさんの書棚にあったものを戴いた。


この中に『小林秀雄全集』の発刊に寄せて、宮本輝氏が寄せた文章がある。

知力の調べ
そのときはたしかに時流に乗った価値を秘めていて、人々に何らかの思惟や示唆や感動を与える役割を担っても、旬の時期を過ぎるとたいした意味を著さなくなる書物というものは無尽蔵に存在する。
だが、不動の知力によって構築された文章なり思惟なり感想なりといったものは、年月を経るごとに新しい音楽を、読む人の成長に伴って奏で続けていく。
その知力の凝縮の調べをわれわれに残したのが小林秀雄であったが、装いを新たに全集が刊行されるとなると、それに対峙する側も心を新たにせざるを得なくなる。
(中略)
この新しい全集は、氏の一見気難しく晦渋な思考が、文章という音符で暗号化された心地よい、わかりやすい音楽であったことを伝えてくれる。

不動の知力という言葉を意識しながら、小林秀雄の著作を読むと
その解釈というものが、さらに浮かびあがる。

徒然草」は、学生時代に人生の教訓めいた随筆集として教師に教えられた。
しかし、小林秀雄の解釈は全く違っている。
このタイトルは、有名な「徒然なるままに...」の書き出しから後人が考えたという。

兼好の苦がい心が、洒落た名前の後に隠れた。一片の洒落もずいぶんいろいろなものを隠す。一枚の木の葉も、月を隠すに足りるようなものか。
                     小林秀雄徒然草

平安時代の詩人が好んだ「つれづれ」という言葉は、
やがて何かで紛れてしまう儚いものであった。

兼好にとっての徒然とは「紛るゝ方無く、唯独り在る」幸福並びに不幸を言うのである。
(中略)
書いたところで紛れたわけではない。紛れるどころか、目が冴えかえって、
いよいよ物が見え過ぎ、物が解りすぎる辛さを「怪しうこそ物狂おしけれ」と言ったのである。
(中略)
彼は批評家であって、詩人ではない。徒然草が書かれたという事は、新しい形式の随筆文学が書かれたという様な事ではない。
純粋で鋭敏な点で、空前の批評家の魂が出現した文学史上の大きな事件なのである。
僕は絶後とさえ言いたい。
(中略)
兼好は誰にも似ていない。よく引き合いに出される長明などには一番似ていない。(中略)
よく言われる枕草子との類似なぞもほんの見掛けだけのことで、
あの正確な鋭利な文体は希有のものだ。
一見そうは見えないのは、彼が名工だからである。
「よき細工は、少し鈍き刀を使ふ、といふ。妙観が刀は、いたく立たず」
彼は利きすぎる腕と鈍い刀の必要性を痛感している自分のことを言っているのである。
物が見え過ぎる眼をいかに御したらいいか、これが徒然草の文体の精髄である。
彼には常に物が見えている。人間が見えている。見え過ぎている。(中略)
無下に卑しくなる時勢とともに現れる様々な人間の興味ある真実な形を、ひとつも見逃していない。(中略)
鈍刀を使って彫られた名作のほんの一例を引いて置こう。これが全文である。
因幡の国に、何の入道とかやいふ者の娘容(かたち)美しよ聞きて、
人数多(ひとあまた)言ひわたりけれども、この娘、唯栗のみ食ひて、更に米の類を食はざりければ、欺る(かかる)異様(ことよう)の者、人に見ゆべきにあらずとて、
親、許さざりけり」(第四十段)
これは珍談ではない。徒然なる心がどんなに沢山な事を感じ、どんなに沢山な事を言わずに我慢したか。
                 小林秀雄徒然草

徒然草について、このような解釈は他に見当たらない。
もちろん自分にはそれを読み説く力などないわけだが、
小林氏の思索を読むことで、自分の中の思索の回路に少しだけ電流が流れる。
もっともっと多くのことを観ずることのできる人間になりたい。
そう思いながら、ページを繰っていく...


「紛るゝ方無く、唯独り在る」幸福並びに不幸...
紛らす事なく、独り悩み突き抜ける苦しみ..それを経ずしては、何も生まれない。
自分の悩みの、なんと中途半端なことか...紛らせてはならない。


長くなってしまったので...おまけ
スマートフォンの壁紙ができたので..その写真。
いつもの写真ですが... これ以上のお気に入りがなかなか撮れないので...

ちなみに、小林秀雄氏も写真を撮られるのが嫌いではなかったようで...
写真はたくさんある。
ナルではないと思うが...自分と比べちゃいかん...