心のなかの幾千もの襞

はじめての文学 宮本輝
郵便局に出かけたついでに、センター南駅構内の「有隣堂」に寄り道
新刊コーナーに「はじめての文学」というシリーズで
宮本輝村上龍村上春樹よしもとばななの4人の本が
同じデザイン(色違い)で並んでいる。
若い人たちに文学に親しんでもらうために
読みやすい短編を集めて編集した本らしく、掲載されている短編は
どれも過去に何回か読んだものである。
後書きだけは、この本の為に筆者が書き加えたもの。
そこには宮本氏が中学2年生のときに文学の世界に足を踏み入れたきっかけが記されている。
ある日、とても悲しいことがあり、誰にも会いたくなくて押入れの中で
ある青年が貸してくれた井上靖の「あすなろ物語」を初めて手にする。

私はたちまち、人間というものの心の襞に包まれていった。
それぞれの人間が、みなそれぞれの心に襞を持っている。
そしてそれはひとつではない。
美しいもの、哀しいもの、気高いもの、醜いもの、崇高なもの、下劣なもの...。
それらを、人間は誰もが等しく持っている。
しかし、人間は清潔でなければならない。潔くなければならない。卑怯であってはならない。
私は、言葉にすればそれに近いようなものを「あすなろ物語」を読み終えたときに感じたのだ。
そして、小説とはなんとすばらしいものであろうと思った。
たくさんの未知の世界、たくさんの心の乱舞、幾通りもの恋や愛憎、
まだ触れたこともない蠱惑と神秘。
それらが、未来で手ぐすねを引いて待っている。自分はそこに向かって歩き出している。
宮本輝『はじめての文学』後書き「心のなかの幾千もの襞」より

次元は違うが...
イカリエンテが文学の世界に魅かれはじめたきっかけは..
父が始めた事業が軌道に乗らず、貧しく辛いことが多かった学生時代。
高校2年生の時に近所に住む25歳くらいの文学青年に出会った。
友人と一緒に彼の下宿に遊びに行った。
古くて暗いその部屋の四方の壁には、
千冊くらいはあるのではないかと思われる本がうず高く積上げられていた。
文学を中心に、そのジャンルは幅広く、そして彼の話題も本当に幅広く興味深かった。
貧しくも人間性豊かなその青年を、ムイカリエンテはいっぺんに好きになってしまった。
会うたびに「今、何の本を読んでいるの?」と聞かれる。
次に会ったときには感想を聞かれる。読んでいないと
「本を読まないと、遅れてしまうよ」と何度も言われた。
歴史小説から始まり、文学の世界にも少しずつ入り込んでいった。
司馬遼太郎吉川英治森鴎外安部公房宇野千代島崎藤村山本周五郎
ドストエフスキーゲーテ・パールバック...
デカルトやルソーのような哲学書も少しかじった。
...古本屋で少しずつ買ったり、図書館で借りたりしながら
活字の世界に親しんでいった。
大学時代に宮本文学と出会い、その深遠さと優しさに心を奪われてしまった。
食事さえままならない生活ではあったが、心は潤っていった。
人生の深遠さも歓びも、文学の世界で体験し吸収してきた。
厳しい局面にぶつかった時、読んだ活字が胸中に蘇って支えてくれるたことも
何度も何度もあった。
軽薄でその場限りの快楽でしかないテレビ番組やゲームで人生が深まることはなく
青年の心を間違えなく蝕んでいると思う。
電車に乗っても本を読む人が極端に少なく、携帯をいじっている人々の目には
感情というものが消えうせて小さな画面の中に心を吸い取られているようである。
自分の周辺にいる青年に文学の素晴らしさを紹介していかねばと
改めて思った。