多忙にかまけて読書が疎かに...
週明けの三重への移動中に、読みかけだった山本周五郎の『天地精大』を読み進める。
山本文学には珍しい幕末ものの長編小説である。
動乱の時代の中で雄藩に挟まれ揺れ動く東北の小藩の青年群像を描いた美しい小説である。
「さくらの花か...」郷臣は吐き出すように言った。
「散り際を美しくせよ、さくら花の如く咲き、
さくら花のようにいさぎよく散れ...嫌な考え方だな」
「この国の歴史には、桜のように華やかに咲き、
たちまち散り去った英雄が多い、
一般にも哀詩に謳われるような英雄や豪傑を好む風が強い、
どうしてだろう、この気候風土のためだろうか、それとも日本人という民族の血のためだろうか」
「こんなふうであってはならない」
「もっと人間らしく、生きることを大事にし、栄華や名声とはかかわりなく、
三十年五十年をかけて、こつこつと金石を彫るような、じみな努力をするようにならないものか、
散り際をきれいになどという考えを踵にくっつけている限り、
決して仕事らしい仕事はできないんだがな」
(中略)
「西欧の学問が現実からはなれずに発達してきたということのほかに、
その発達の途上で幾たびか、非常な圧迫と妨害を受け、
しかもそれに屈服しなかったばかりでなく、
妨害や圧迫が強ければ強いほど、かえってたくましく強く成長してきたことだ」
「イタリアのガリレオは、宗教裁判にかけられて自説を否定するか刑殺されるかという、のっぴきな らぬ詰問を受けた。ガリレオはどうしたろうか....」「否定してそれから」
「肝心なことはガリレオが生きのびたということだ」
「...とにかく生きのびることを考え、生きのびて仕事を続けた。
自分の主張を固執していさましく死ぬことはやさしいが、恥辱を忍んで生きのびるところに、かれ らとわれわれの根本的な差がある」
「生きることは難しい」
「人間がいちど自分の目的を持ったら、貧窮にも屈辱にも、どんな迫害にも負けず、
生きられる限り生きてその目的をなしとげることだ。
それが人間のもっとも人間らしい生き方だ、非常に困難なことだろうがね」
日本男児は桜の如く散り際を潔く...というのが美徳と言われた時代
山本周五郎は、登場人物をして生き抜くことの大切さを訴える。
栄華や名誉などアホのようなものだ。
どこまでも人間らしく、生き生きと...現実の苦闘に勇気を持って挑戦し
あるときは貧困にも屈辱にも耐え、迫害にも負けず...
生きて生きて生き抜くのだと...
体中に勇気が湧いてくる。
もっともっと人間らしく、闘おう!