『蛍川』再読

先日、宮本輝トークショーでお会いしたNさんから
芥川賞受賞前に発表された『蛍川』のコピーを読ませていただいた。
Nさんは、某大学の大学院で文学を専攻されている学者である。
イカリエンテのような一ファンとは、読み方の次元が違うわけで
こういう出会いがあったのもトークショーのおかげである。
『蛍川』は、改稿された後に芥川賞を受賞して広く出版されるが
改稿前のこの原稿は、国会図書館でさえ置いていない貴重なものだそうで
宮本作品はすべて読んでいるムイカリエンテでさえ、存在すら知らなかった。
これを読めること自体が稀有なことであり、幸福なことである。
Nさんには心から感謝。
大筋は同じであるが、表現方法が大きく変わっている。
さらに現在出版されている『蛍川』も読み返してみる。
不安神経症でサラリーマンを辞めざるを得なかった文学青年が
30歳という若さで挑んだ作品は、
生命というあまりにも大きなテーマとの闘争である。
舞台は昭和35年の富山である。

蛍川・泥の河 (新潮文庫)

蛍川・泥の河 (新潮文庫)

一年を終えると、あたかも冬こそがすべてであったように思われる。
土が残雪であり、水が残雪であり、草が残雪であり、さらには光までが残雪の余韻だった。
春があっても、夏があっても、そこには雪の胞子が舞っているのだ。

生命を「雪」と「蛍」に投影しながら、物語りは展開していく。
萌え出ずる若々しい生命の躍動と、衰退しゆく生命の交錯。
青年らしいひたむきな眼差しの奥に、生命への深い洞察と表現力が
繊細な表現で綴られて行く。
すべての底流に潜む雪の胞子は、生命の底流に流れる宿命であり
舞い上がる蛍のほのかな光はまた生命の中に潜む輝きである。
一つ一つのシーンが、一幅の名画のように美しい。
改稿の前後で、宮本青年の中に生命を揺るがすような大いなる変革があったことは
素人のムイカリエンテが見てもはっきりとわかる。
もちろん、それが何であったかはわからない。
年齢を重ねるごとに小説は熟成し深みを増しているように感じるが
やはり原点に還って初期の作品を読み直すことが大事であることを感じた。
宮本先生には、いつまでも長生きして
ゆっくりでいいから、いつまでも小説を書き続けてほしいと祈る毎日である。