『長い散歩』鑑賞

長い散歩
前日書いた映画を観に、渋谷Q−AXシネマへいく。
東急本店の向かいのラブホテル街
地面の凹凸に汚れた水が溜まった坂道を上がって映画館に入る。
奥田瑛二監督第3作、撮影は石井浩一君。(高校時代の剣道部の同期生)
主演の緒方拳さんから「石井君は精神がいい」と誉められたそうであるが
映像がまず素晴らしい。美醜も善悪も渾然としたリアルであり幻想的でもある映像。
監督の精神と撮影の精神が見事な映像を作り上げている。
物語は主演の緒方拳が演じる老人が、母親に虐待される少女を救い出して
旅に出るところから始まる。
自らの幸福だった過去を辿る旅へ...
しかし、これは世間の常識でいうと「誘拐」という。
幼児虐待・家庭崩壊・帰国子女...
今の社会にはびこる様々な問題が登場人物の間で複雑にからみあう。
登場人物のひとりひとりが、心に傷を負って生きている。
年齢も生き方も違うのに、寄る辺ない眼は共通している。
誘拐犯となった松太郎(緒方拳)を追う若い刑事は善悪の判断に迷い
初老の刑事(奥田瑛二)の最後の台詞が、この社会の行き詰まりを象徴する。
どこか知らないところで、こういう事件が起きている...ということではなく
自分の心の中に、どの登場人物も存在するのだと考えてみる。
迷いながら傷つきながら後悔をしながら...それでも歩くしかないのが人生である。
「人生は長い散歩、愛がなければ歩けない」...映画のコピーは逆説的である。
松太郎は、人を愛することで心の傷を癒していく。
毎日のように報道される悲惨な事件。
マスコミや評論家は無責任な他人事の発言を繰り返し、その場限りの同情を世間に求める。
そこへあえて飛び込んで、迷い悩み闘っている映画だと思う。
理解できない部分もあるが、フィクションとは作者の精神の遊びの世界であるから
それはそれでいいのだ。
まっすぐな道を振り返らずに歩き続ける松太郎の後ろ姿
観る人に自らの道を考えさせるラストシーン。
価値観や生き方でその捕らえ方は千差万別だと思う。
何があろうとも歩き続けるしかない。立ち止まらずに..
生きることの闘い
老いる寂しさとの闘い
病の苦痛との闘い
死の恐怖との闘い
映画の余韻を残しながら、
汚れた坂道を歩いて、寄る辺ない眼の若者が彷徨う渋谷の人ごみに合流した。