原谷苑の紅葉

燃えるような紅葉の下で、真っ白な山茶花に出会った。
冬の午後の眩しすぎる陽射しに背を向けて
幾重にも重なる花びらの一重一重が
愛おしむように、いのちを抱いていた。

固く締まった小さな赤い蕾から
こんなにも柔らかな純白の花を咲かせようとは...
それは、蝶が さなぎの背を割って華麗な羽根を広げた姿に似ていた。


この日のために生きてきた
厳しい自然と苦闘しながら、いのちの力をためてきた。
そして最後の一瞬に、どれほどの力を振り絞り、苦痛に耐えて開いたことか...
闘いを終えたその姿は、哀しくも美しかった。

あなた方はこの世を悲しく、けれども美でみたす。
あなたたちの苦しみがもはやないときには、この世はいっそう貧しくなるであろう。
苦しみの前に震え、幸福の勝利(これはほとんど常に他人の不幸への権利にすぎない)
を騒ぎ立てて要求する卑劣者たちの時代に、苦しみを正視してそれを祝福しよう!
歓びをたたえんかな、苦しみをたたえんかな!
二つは姉妹であり、いずれもが聖なるものである。
それらは、この世を鍛え、偉大なる魂を充実させる。
それは力であり、生命であり、神である。
この二つをともに愛さない者はそのいずれをも愛さない。
そうしてこの二つを味わったものは人生の価いを知り、人生を去る甘美さを知る。
   ロマン・ロランミケランジェロの生涯』

「歓びをたたえんかな、苦しみをたたえんかな!」
いのちとは、苦しみと歓びの絶えざる繰り返しなのだな
そんなことを、この健気な花に教えられようとは....


原谷苑...
京都から大阪に向かう途中、丸太町通りを走っているときに、
一昨年の春に見た、枝垂れ桜の花園を不意に思い出して、ハンドルを切った。
細い坂道を登って春には人でにぎわう庭園の前に来たが、人影が見当たらない。
開いたままの木戸を通って上がってきた坂道の上で、この山茶花に出会ったのだった。


暖冬のせいか、街中の紅葉はどこもあせたような色であったが
ここの紅葉は、寒暖差のせいか、どの色も鮮やかであった。

広い庭園を歩くうちに陽射しは低くなり、山を覆う紅葉はいっせいに輝き始めた。
やがて散りゆくいのちの姿が、なんでこんなにも美しいのか...

「歓びをたたえんかな、苦しみをたたえんかな!」
そうだ... 生きることを全うした姿なのだな
生きて生きて生ききらねば、こんなふうに染まることはできまい。




風に流れる紅葉を撮ったカメラをそのまま頭上に向けた瞬間
ファインダーの中で無数の赤い蝶がいっせいに渦巻きながら、天に向かって舞い上った。