冬を追いかけて...

雪融け水の流れ始めた神通川の川面には
パステルを溶かしたような空が映りこんでいた。

去りゆく冬が恋しくなって、富山の滞在を延ばして雪景色を見に行くことにした。
出張で貯まったポイントでホテルに泊まり、スタッドレス付の安いレンタカーを借りた。
石積みの街八尾から利賀村へ...


富山湾から這い上がってくる春に背を向けて、冬へ冬へ...


八尾の石畳の雪は融けてなくなっていたが、その先の山間の坂道をあがっていくと、
ぬるんだ春の空気を突き抜けて、ダム湖の畔で冬に追いついた。
谷底の凍りついた碧の湖面を見おろしていたら、音もなく雪が舞い始めた。

見渡す限りの雪景色...
スタッドレスでさえ、時おりハンドルをとられる雪深い山道を疾走する。

山肌から湧きあがった霧は、谷を這うように流れて視界を遮り
その霧を抜けると、突然澄み切った青空が現れる。
真っ白な山々がいっせいに陽射しをはね返して銀色に輝く。
そしてまた流れてきた雲から雪が降り始める。
大きな自然の呼吸のなかで、いのちが澄んでいくような気がした。


長い長い山道を上がりきったところで、突然視界が開け、集落が現れた。
川に沿ってできたその集落は、両脇を険しい山に囲まれて、乏しい農地は厚い雪に覆われていた。

すれ違った除雪車の男が、こんなところに現れたよそ者を珍しげに見下ろしている。
そこから先...家は建っているのに、人影はまったく見当たらない。
家の中でじっと春が来るのを待っているのか...
除雪車が去って静まりかえった村に、ただ川のせせらぎだけが聴こえていた。




真っ白な長い道の途中に、こつ然と腰のまがった老婆が現れた。
頬かむりをした老婆は、大きなゴム長を引きずるように、ゆっくりと雪の道を歩いていた。
いったい、どこから来てどこへ向かっているのだろう...


一年の半分を雪に閉ざされたこの山の中で、どれほどの歳月を生きて来たのであろうか...

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冬の犬 (新潮クレスト・ブックス)

冬の犬 (新潮クレスト・ブックス)

カナダの東端...海も凍ってしまうほどの厳寒の島...
その島の住民は、灯台守の一家だけだった。
父が死に、母が死に...そして一人になった彼女も、すでに年老いていた。



17歳の夏... 入り江での出会い... ロブスター漁に来ていた赤い髪の青年

二人の前に大きな海がどこまでも穏やかに広がっていた。
「あんた、ここの生まれか?」
「ええ」と彼女は言った。「そうみたい」
「ずうっとここに住んでるのか? 冬も?」
「そう」と彼女は答えた。「だいたいね」
 彼女の家族はほとんどそうだが、彼女も島の話になると身構えた。住んでいる場所とそこでの
生き方のせいで、ちょっと変わっていると世間から見られていることを知っていたからだ。島の
生活の寂しさについて訊かれるのはいつものことだった。
 「どこに住んでても、寂しい人間は寂しいもんだよな」と彼は彼女の心を読んだように言った。
 「ああ」と彼女は言った。今までそんなことを言う人間に会ったことがなかった。
 「ほかの土地に住みたいと思わないか?」と彼が訊いた。
 「さあ、どうかな」と彼女は答えた。「それもいいかもしれない」
 「さて。もう行かなきや」と彼は言った。「またあとで会おう。戻ってくるから」
   アリステア・マクラウド『島』中野恵津子訳


冷たい雨の降る夜、本島から船を漕いで来た男と、道具小屋で結ばれる。
男は、その夜以来二度と島に戻らなかった。山で死んだという噂を聞いた。
本島で産んだ娘は親戚にとられてしまい、その子も大人になって都会へ行ってしまった。
彼女は、島に一人残って、灯台を灯し続けた。
何十年もの歳月が流れていった。


極寒の島で、ひとり黙々と灯台の火をともし続ける彼女の心の中に灯っていた火は
たった二度の、赤い髪の男との思い出
ラ・トゥールの『マグダラのマリア』の、灯を見つめる女を思い出す。

http://lempicka7art.blog.fc2.com/blog-entry-58.html  


どんなに厳しい人生も、いのちのなかにそんな灯がひとつあれば...
それを消さずに守って行けば、きっと生きていける。

                                                              1. +


老婆の姿は、いつのまにか消えていた。


そしてまた、静かに雪が降り始めた。