雨が降り始めたので、田園を見に出かけた。
7月のやさしい雨にうたれる生命の
歓びに触れてみたくなったから...
とめどなく生じては消える雨滴の波紋
ひとつひとつの生命の波動か...
水の上に落ちて波を起こし
他の生命と重なりあったり、打ち消し合ったり
共鳴したりしながら...
それでも一瞬後には水と同化して消えていく
水辺にはなんと多くの生命が存在し、この雨を喜んでいることだろう
水田の、植えられた苗の周りを動きまわる、おたまじゃくし、メダカ、カワニナ
遠くを見るような哲学的な顔をしたカワセミ
巣にかかった大きな水滴と戯れるクモ
ムクゲもドクダミも...雨を吸い込んで、活き活きとしている。
マクロレンズで小さな命を覗きこむと、生命というものの神秘に触れるような気がする。
- 作者: 小林秀雄
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2003/11/01
- メディア: 単行本
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人間は考える葦だ、という言葉は、あまりに有名になりすぎた。気の利いた洒落だと思ったからである。
或る者は、人間は考えるが、自然の力の前では葦のように弱いものだ、という意味にとった。
或る者は、人間は、自然の威力には葦の様に一とたまりもないものだが、考える力がある、と受取った。
どちらにしても洒落を出ない。
パスカルは、人間は恰も脆弱な葦が考える様に考えねばならぬと言ったのである。
人間に考えるという能力があるお蔭で、人間が葦でなくなる筈はない。
従って、考えを進めて行くにつれて、人間がだんだん葦でなくなって来る様な気がしてくる、
そういう考え方は、全く不正であり、愚鈍である、パスカルはそう言ったのだ。
小林秀雄 「パスカルの『パンセ』について」
人間は、考えることができるだけの"葦"に過ぎない。
考えてみたところで、頑張ってみたところで
自分は、所詮一本の葦に過ぎない...
雨のなかで思ったこと