水上勉『櫻守』

梅雨が明けて、一気に夏がやってきた。
自分が最も得意とするのは
オゾンの利用技術であるが
これをやっている会社は数少なく
新卒は採るが、中途採用は出ない。
しかし、ある会社がホームページで募集を
かけていることを、後輩M君が教えてくれたので
職務経歴書に写真入りの詳しい実績と添書きをつけて
郵便で応募してみた。
ずいぶん前の日付なので、決まっているかもしれないが...
まあ、当たってくだけろだ..


午後から、ふるさと村へ出かける。
風が吹くたびに、稲がさわさわとざわめきながら波を打つ。
田の端の木陰になっているところに腰掛けて、しばし読書。
風の音以外には、野鳥と蝉の鳴き声しか聞こえない。
なんと気持ちの良い場所だろう。


水上勉『櫻守』を読んだ


櫻守 (新潮文庫)

櫻守 (新潮文庫)

丹波の山奥に大工の子として生まれた弥吉は、若くして京都の植木屋に奉公。
その後、桜にとりつかれた研究者竹部と出会う。
竹部は、日本固有の桜、山桜・里桜を、私財を投じて守り育成していた。
そして、弥吉は竹部に感化されて、生涯を終えるまでひたむきに桜を愛し、
桜を守り育てることに情熱を傾け尽くす。
山一面に広がる桜の描写、それを愛し育む人々の心が本当に美しい。
そして、会話の中の関西弁のひびきが、なんとも美しい。
弥吉は、竹部と桜山に入ったある日、旅館で働く園という女性と出会う。
園は結婚してすぐに夫が戦争に行き、戦死した未亡人であった。
弥吉は、園に惹かれ、また周囲の薦めもあって、結婚することになる。

竹部は、はにかんで、うつむいてばかりいる弥吉をみて、ぼそりとした声でいいついだ。
「どうせ、人間はみなそらキズもんやといえばキズがありまっせ。
木イやってええ桜ほど傷がついてますわ。
キズで寿命をちぢめるのも木なら、キズで、大きく育つのも木のおもしろさです」

貧しい二人の事情で、祝言はその山の中の旅館で質素に行われるが
有馬温泉で初夜をと薦められた弥吉は、桜山の番小屋で過ごしたいと申し出る。

楊貴妃(桜の品種)は、二十年生ぐらいのもので、番小屋の屋根にとどくくらいに枝をたれていた。(中略)
下からみると、枝のひくい楊貴妃やしだれなどは、まるで懸崖の鉢植えをみるような景観だった。
雛壇にならべたような感じがしないでもなかった。
桜と桜のあいだに、これも竹部の主張で花を浮き上がらせる楓があって、
手入れが行き届いている。
四月はもう淡緑色の、うまれたての蝉の羽のような若葉である。
楓のほかに椚や栗も新緑をみせている。
みどりの中に、桜だけが花の衣裳をまとって匂うていた。(中略)
夕暮れであるから、武庫川をへだてた向い山には、温泉宿の湯けむりがたなびき
その峰の背中へ、陽が落ちかかる。
空はうすあかね色に染まって、花は間近では、楓のみどりに浮いてみえたが、
空を仰げば、まるでこれは朱に白綿をうかせたようであった。

桜の話ばかりする弥吉...

しゃべりつかれて気がつくと、陽は向い山の背に沈んでいる。空もなすび色に変わった。
弥吉は園を部屋へあげた。園は弥吉のさし出した破れ座蒲団にすわった。
弥吉は園の白いうなじをみた。小麦色の耳だった。
弥吉は園を抱いた。園は思ったより小さかった。
腕の中で肩甲骨の出た背中を喘ぎながらよじった。滝の音が高まった。
弥吉は夢中になって園の頬を吸った。
自分の軀と、園の軀が一しょに滝壺に落ちていくような、生涯忘れられない記憶になった。
園の瞼と耳に、朱をさしたように血がのぼった。
弥吉は腕をはなして畳に眼をやると、乱れ髪がながれて、
楊貴妃の花弁が一つ、小貝をつけたようについていた。弥吉はうっとりそれを眺めた。

美しい描写なので、長々と書き移してしまったが...
風の匂いを感じながら、自分も桜山の番小屋の中にいるような気持ちになった。


帰りに郵便局に寄って履歴書を送り、家に戻ると西の空が染まり始めている。
家に帰ってカメラを担いで、自転車に飛び乗って近所の公園の高台に向かう。
富士山も良く見える場所から染まりゆく雲をずっと見ていた。