海へ...

今月は中旬に長い出張が入るので
たまった代休を消化して4連休。
仕事のことは少し忘れて
実家に行ったり買い物したり...
カッターシャツ・ネクタイ・パンツ..
ウォーキングシューズはちょっと奮発→


今日は、その靴を履いて一人でお出かけ。
最近、いろいろなことが重なって、自覚のない心労が貯まったのか、
一週間ほど前からずっと、胃が痛い。
こういうときは波の音を聴くのが一番よいと思い、海を目指して地下鉄に乗る。
横浜駅乗り換えでランチ..いつもの「龍味」 豚肉しいたけ炒め、ご飯抜き。旨い。
(炭水化物カットは2.5カ月経過 マイナス5kgです)


桜木町で下車...ランドマークとクイーンズスクエアを素通りして、インターコンチの裏の海岸。
ここはいつも人が少なくて...海を見ながら本を読んだり、昼寝したりするにはいい場所だ。
ゆっくり物を考えたいとき、ムイカリエンテはよく一人でここに来る。
厚い雲が海を覆ってはいるが、冷たい風がなぜか心地よい。
限りなく打ち寄せる波の、心地よい音を聞きながら、しばし小林秀雄の文章を読む。

凡ては永久に過ぎる。誰もこれを疑う事はできないが、疑う振りをする事はできる。
いや何一つ過ぎ去るものはない積りでいる事が、取りも直さず僕等が生きている事だとも言える。
積りでいるので本当はそうではないのだ。歴史は、この積りから生まれた。
過ぎ去るものを、僕等は捕えて置こうと希った。
そしてこの乱暴な希いが、そう巧く成功しない事は見易い理である。(中略)
歴史は繰り返す、とは歴史家の好む比喩だが、一度起こってしまったことは、二度と取り返しが附かない。
とは僕等が肝に銘じて承知しているところである。それだから僕等は過去を惜しむのだ。
歴史は人類の巨大な恨みに似ている。もし同じ出来事が再び繰り返される様な事があったなら
僕等は、思い出という様な意味深長な言葉を、無論発明し損ねたであろう。
                     小林秀雄ドストエフスキーの生活』

波は打ち寄せる絶え間なく限りなく...この波はいつから始まっていつまで続くのか
無数の波頭は、一瞬にして現れ一瞬にして消え去る。
時は永久に過ぎていく。そしてまた、未来も永遠に続いている。
波の寿命はあまりにも儚く無常であるが、その波を生み出す法則は、普遍的である。
永遠に流れる時の中では、人の一生も波頭の起伏に等しい。ならば、その底に流れる普遍とは何か...
過ぎ去った過去を惜しむまい。目の前広がる道に勇気をもって踏み出そう。


何時間そこにいたのだろう。
体が芯まで冷え切って、指先が冷えきってしまった。
海沿いに歩いて赤レンガ倉庫を横切り、馬車道を歩いてJRに乗った。