美しさに気がつくこと

草木が色を帯び始める秋
横浜でも紅葉は少しずつ始まっている。
春先に白やピンクの淡い花を広げていた
ハナミズキは、いち早く紅葉している。
サンドさんの日記でハナミズキの実があることを知り
http://blog.goo.ne.jp/yamaon-sando
道端に植えられた背の低い木を観察。
赤い葉の間に小さな赤い実をつけている。
気をつけなければ気がつかないことって
たくさんある。

公園にはセイタカアワダチソウが群生している。
あまりにも生命力が強くて、どこにでも生えて一気に広がる外来植物。いわゆる雑草。
元々は、養蜂家が蜜源として輸入していたというこの植物。
華やかさも儚さもない逞しい彼女には、誰も見向きもしない。
むしろ疎まれる存在である。
しかし、近寄ってよくよく観察したら...
可愛らしい黄色い花が密集して咲いているではないか。なんて美しいのだろう。

自然の中には、よく見なければ気がつかない美しさがたくさん散らばっている。
人もまた然り...
人間の心根の美しさなどというものは、近づいて語り合っていかない限りわかるはずがない。
数えきれない人間の海の中で、直接触れ合う人なんて数えきれるほどしかないのだから
決してそれは見逃してはいけない。
つい先日引用した小林秀雄箴言は、
薔薇や蘭よりも、むしろコスモスやこんな雑草の方がよく当てはまるのではないか?
http://d.hatena.ne.jp/mui_caliente/20081016
日々を生活と苦闘しながら雑草のように懸命に生きる庶民の中に、人間の本当の美しさはある。


深まりゆく秋
イカリエンテも40代後半にさしかかり、そろそろ自分の色が出てくる年齢である。
美しく色づいて実をつけて、人に希望や安らぎを与えていけるのか...枯れ落ちて忘れられていくのか?
分岐点は、自分の中にある。