厳美渓

栗駒山から北上川へと流れ落ちる急流の
そこだけ傾斜が緩くなった碧の川面に、鴨が群れていた。
川下の方から水の砕ける音が微かに聴こえた。

仕事の打ち合わせは夕方からだったので
一ノ関駅で車を借りると、西に走ってここに寄った。
9月にも来たが、その時は前日の大雨で水嵩は膨れ上ががり
橋の上から見下ろすのも恐ろしいほどの濁流が逆巻いていた。



ここに来ることはもうないだろう…
最後に、美しい姿を見ておこう...
そう思って立ち寄ったのだった。


前任者が客先の依頼を放置したまま会社を辞めてしまい
そのフォローだけの出張だった。
上長からは受注するようにと言われたが、三流会社の中途半端な技術では
責任をもった対応ができない。
前回の訪問の後、技術的な見地をまとめて、お断りとお詫びの文書を送ったが
仲介している商社から、訪問してけじめをつけるように促された。
気の重い仕事だった。


欄干に積もった雪を掌でかためて川面に落としてみる。
雪の塊が流れに呑みこまれるよりも先に、鴨がいっせいに飛び立った。
ふと見あげた浅葱の空に、乳色の雲が流れていた。


肌を刺すような寒い午後だった。
晴れているのに、陽射しにぬくもりはなかった。
川沿いの道を下っていくうちに水音は高まっていった。
そこから渓谷が一気に深く切れ込み
緩やかに見えた川は、狭い岩の裂け目に轟音とともに流れ落ち
谷の底でもんどりうったように激しくもみあいながら、競うように流れていた。


渓谷にかかる橋からカメラを構えると
ファインダーの中に黒い穴のようなものが見えた。
ズームして見ると、それは岩の窪みにできた大きな水たまりだった。

雪をかぶった岩のまんなかで、暗い水たまりには雪が沈み
融けることも凍ることもできずに、じっと息をひそめて
空の色も映せないまま、ぼんやりと空を見上げていた。


激しく流れる清流から取り残されて、凍えながら一歩も動けずに
ただ、流れゆく雲を目で追っていた。
胸の奥がずきんと疼いた。


カメラをおろして、もう一度そこを見たが、
陽の射しこまない深い谷の底で、それは小さな黒い穴でしかなかったが
ファインダー越しに感じたあの胸の痛みは消えなかった。


そして、不意に雪が降りはじめた。
やがて雪雲は陽射しを遮り、昼間だというのに辺りは暗くなっていった。
客先に向かって田園地帯を走っているうちに吹雪になった。


4人も出てきた客先の担当やその上長の方々は
こちらの誠意は汲んでいただいたようで
また、何かアイデアがあれば提案してくださいと言われた。
もう二度と来ることはないだろうと思って、黙って頭を下げた。


外に出ると、雪はやんで蒼い夜が降りはじめていた。
それでもずっと、あの水たまりのことが胸のなかに居座っていた。



☆ おまけ ☆
一ノ関の夕食
地のお魚はもちろんですが、葱と牡蠣の天ぷらが絶品でございました。



前回は、満席で入れなかった土蔵風のお店
今回は、がらがらで東京から出張で来ていた紳士が一人...
一緒に話をさせていただきました。