母の姿

父の日記に見えている。母は、わが新衣(しんい)を購(あがな)わんより君が書物をといったと。
夫と子供と消し炭と薬味を財産と思って過ごした十七年の、まっくろけな姿。
柳の緑、菜種の黄、蝶の白をもってこの黒衣の人に配すれば、
かっと明るい春日の絵のぬきさしならぬしめくくりである。
じみが不幸であったとは、誰がいえよう。
  幸田文 『みそっかす』 はは

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幸田露伴の次女、幸田文(あや)さんが、7歳の時に亡くなった母の回想を綴った一文である。
父、露伴の話によれば、母は嫁入り道具もほとんど持たずに来たという。
消し炭と薬味を財産のように大事にし、着物は夫の着古しを着ていた。
志村ふくみさんが、この一文からお母様の回想をされていたのを読んで、この本を手にしたのだが
読みながら、自分も母のすがたと重ね合わせていた。


15歳で八丈島から横浜に出てきて、横浜の叔父の営む菓子屋で住み込みの丁稚奉公をしていた母は
その街で父と出会い結婚..一年後に私が生まれた。
横浜の工業地帯の傍にある、木造のアパート
共同トイレの臭いがたちこめる湿気が多く暗い建物の一室
高度成長の時代に取り残された、貧しい生活であった。
そのせいなのか、子供の頃の記憶には明るい陽射しはなく、いつも薄暗い暗幕がかかっている。


そんな日々のなかで唯一鮮明な、明るい思い出...
学校にあがる前...ある春の日に、母に手を引かれて行った蓬摘み
蓬の若葉が萌えるその小高い丘には、菜の花が咲きみだれ、レンゲやシロツメクサが野原を覆っていた。
母は歌を口ずさみながら蓬を摘み、私も真似をして蓬を摘んだ。
摘み終わると、野原のシロツメクサレンゲソウで花の冠を編んでくれた。
明るい菜の花の背景のなかで、貧しく地味な身なりではあったが、
蓬の匂いのする母の手は白く、母は美しかった。

少年時代のもっとも明るい一日....50年も前の、あのなんでもない一日に、
私がこんなにもしあわせな思い出として抱いていることを、母は知るまい...

「柳の緑、菜種の黄、蝶の白をもってこの黒衣の人に配すれば、
 かっと明るい春日の絵のぬきさしならぬしめくくりである。」

かっと明るい春の日が輝いていたのは、黒衣の母がそこに居たからだ...
母がそこにいなければ、記憶の彼方に流れさってしまうような虚しい風景であったに違いない。


その後、生活は益々厳しくなり、母は内職に明け暮れるようになった。
はんだ付けのヤニと火傷で、母の白い手は汚れていった。
蓬摘みも、あれから行ったかどうだか...思い出せない。


今年も菜の花が咲き、近所の菜の花畑に出かけた。
菜の花の匂いを嗅ぐと、ノスタルジックな気分になるのは、あの日の記憶のせいなのかもしれない。
来年は、もっと広大な菜の花畑を母に見せてあげたいな...
きっと遠慮して、私はいいよと言うのだろうが... 
一緒に蓬摘みがしたいと言ったら、行ってくれるかな




松田町の河津桜と菜の花