闇を抜けて...

工場地帯の向こうから真っ赤な旭日が姿を現した。
特急電車のガラス越しに差し込んだ朝陽で染まった自分の顔が、ガラスに映った。
流れゆく景色の中で、雲を染め、川面を染め、家々の屋根を染めながら
太陽は凄まじいスピードで上昇していった。


昨日、深酒をしたにもかかわらず、暗いうちに目が覚めてしまった。
不意に三重の海で見ていた旭日を思い出した。
あの旭日を見れたら...
そして、ホテルを飛び出して、難波行きの近鉄特急に乗ったのだった。


どれほど、この色に励まされてきたことだろう...
41歳のときに、必死で働いてきた会社の二代目社長に、突然解雇通告を言い渡され失業...
そして、拾われたベンチャー会社...
大阪の次に命じられた単身赴任先は、三重だった。
無我夢中で働いて働いて働き詰めた。いつも疲労困憊で、アパートの冷たい布団に倒れ込んで眠る日々
それでも、いのちは燃えていた。
三重で、忘れられない風景は、海から昇る旭日だった。
毎朝のように海に出かけ、旭日に勇気をもらって仕事に出かる日々は、しあわせだった。


  (当時の写真)



工場の建造物のシルエットまでもが、茜の中に浮かぶと美しく見えた。
しかし... 四日市を過ぎた頃から、上空にまっくろな雲が現れ、見る間に空一面に広がっていった。
そして、太陽は雲に呑み込まれていった。


あの頃、自分のこころの中は、こんな景色だったな...
ベンチャー企業は3年半で頓挫して職を失い、そこからが暗雲のなかにいるような人生がはじまった。
二度の失業三度の転職... そして漆黒の夜が来た。
一年余の失業の後に就職はできたものの、夜はあけなかった。


長い長いトンネル...しかし、一年前...
いのちの恩人 宮本輝先生とお会いできたことが、自分にとっての大きな転機になったのだった。
太陽は、雲の向こうにあるのではなかった。
太陽は、我が胸中にあるのだということを、先生は教えてくださった。
いのちまでが曇って、そのことを忘れていたのだ。


どんなに厚い雲がかかろうと、どんなに嵐が吹き荒れようと
太陽は、なくなりはしない。
自らの軌道を外すことなく、常に赫々と燃え盛っている。
なにがあろうと、もう忘れまい。
そして、自らの胸中の太陽で、他者に温もりをもたらす人にならねばなるまい。



早すぎた大阪到着...
訪問先の地図を見たら、近くに武田尾という地名...
ああ、こんなところにあったのか
水上勉の『櫻守』の風景が不意に蘇り、寄ってみることに...


桜博士と言われた竹部が全国を歩いて集めた桜は、この武田尾の演習林で大事に育てられていた。
線路沿いに歩き、いくつものトンネルを抜けた先に、その桜の園はあったのだ。
  (引用は長くなるので... 過去のリンクを貼っておきます ⇒ 
   http://d.hatena.ne.jp/mui_caliente/20150410
   http://d.hatena.ne.jp/mui_caliente/20140411


廃線になったその鉄道は、レールが外されていたが、枕木はそのまま残されていた。

トンネルに入ると、ひんやりとした冷気がからだを包む
あの二人は、このトンネルを歩いたのだな...

緩いカーブを過ぎたとき、トンネルの出口が見えた。
そこには、まだ紅葉の始まるまえの緑が萌えていた。
闇を経なかったら、気付かなかったその緑の美しさ...
その場所から...闇の中から... 自分の未来のようなその美しい森を抱きしめた。