宵待草

少し開けておいた障子の隙間から流れ込んできた冷気で、目が覚めた。
空は白み始めていたが、日の出前のようだった。


民宿をこっそり抜け出て、緩やかな斜面の田園地帯に出ると
森の向こうから、旭日が昇り始めた。

空は一瞬染まりかけたが、燃え上がることなく冷めていった。


朝靄に覆われて、昇るごとに白くなって行く太陽は、
燃る想いを隠し持った能面のように見えた。
湿った風が吹き、雲が舞うように流れていった。


烈々と燃える旭日は、何度か目にしたことがあるが
こんなにも静かな日の出を見たのは初めてのような気がした。


能の舞台を眺めるような心持ちで、月のような太陽を追って
田園地帯の中を通る、なだらかな坂道を歩いていった。

友枝喜久夫という能役者の舞う「江口」という能について
白洲正子氏が書いた文章を思い浮かべた。
筋書きは長くなるので省くが、遊女が菩薩となって昇天していく場面について...
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「これまでなりや帰るとて、則ち普賢菩薩と現れ舟は白象となりつつ、光とともに白妙の白雲にうち乗りて」、
シテは最後に天上へ帰って行くのであるが、ふつうは正面先の方へ出て、「ユウケン」という型をする。
これは満足感とか、晴れやかな気分を表わす動作で、扇を胸に当てて上の方へ大きく開いて行く。
先代梅若万三郎や野口兼資という名人は、ここで見事に菩薩に変身してみせたが、
友枝喜久夫が何をしたかといえば、殆んど何もしなかったといっていい。
正面へ進み出ることもせず、例の無雑作な態度で、ワキヘちょっと会釈をした後、
左右の手で構えるともなしに構えて、花が音もなく開くように菩薩に成った。
それはおのずから成ったとしか言いようのない自然な姿で、
それまでの遊女とははっきり次元の異なる存在と化したのである。
 友枝さんが何を思っていたか私は知らない。どういうことをやったのか、それもわからない。
秘すれば花なり」と世阿弥はいったが、それはおそらく自分目身にも秘められていた花なので、
本人に訊いても答えられなかったであろう。
               白洲正子『友枝喜久夫 老木の花』


太陽は、自らの軌道を正確に進んでいただけだった。
それでも目の前の風景は刻々と変わり続けていった。
自然とは、そういうものであるが...
人が、音もなく花が咲くような振る舞いをできるようになるには、
気の遠くなるような鍛錬を要したことであろう。
そんな人間の姿を見てみたいものだな...


生きるという鍛練の先には、自然な立ち振舞いや目の動きのなかに、人の心を動かす なんとも言えぬ芳香が漂うのではないか…


そうすると…
自然というのは、たいしたものだな…

いうまでもなく、舞台芸術は、一瞬のうちに消えてしまうはかない運命にあるが、
美しい芸というものは生涯忘れることのできぬ力を持っている。
むしろ、年月がたてばたつほど大きく美しく育って行くように思われる。
思い出が美しいといわれるのは、それとともに自分目身も成長して行くからで、
小林秀雄によると、向うの方がよけいな思いをさせないためだというが、
それにしても原形がよくなければ、そんなことは起こりえないであろう。
             白洲正子『友枝喜久夫 老木の花』


太陽はやがて、上空の厚い雲に遮られて、その輪郭を失っていった。
まもなく萎んでしまう宵待草が、灰色の空を見上げていた。