足元に視線を落としたまま、いもり池への小道を歩いていった。
祈るような気持ちで...一歩また一歩...
池の隅に咲く一輪の睡蓮を見た瞬間、胸の中で花が開いたような気がした。
そして視線をあげると、広大な池一面に、無数の睡蓮が咲き誇っていた。
ああ、今年もこうして無事に咲いている。
去年の夏、圧巻の睡蓮絵巻をここで観た。
そして冬...
豪雪のこの高原で、睡蓮はどんな姿なのか見たくなって
ここに立ち寄ったのだった。
顔がこわばるほどの凄まじい寒気のなかで
池は氷に覆い尽くされていた。
光も差し込まない、真っ暗な泥水のなかで身を屈して...
氷に閉ざされた、凍てつく水のなかで息を殺して...
死んだように生きるしかなかった長い冬
氷のわずかな隙間から見えた泥水のなかの朽ちた睡蓮が
自分の姿のように思えたのだった。
ああ、こんなにも汚れなき純白の花が
あの恐ろしいような闇の中から生まれてきたとは...
なんということだろう
曇り空を見上げる幾千のいのちを
去年の夏よりも、より一層に愛おしく思った。
そして、自分のいのちのなかにも
こんな美しい花の種が眠っているということを信じようと思った。
睡蓮の季節に必ず読み返す『睡蓮の長いまどろみ』
- 作者: 宮本輝
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2003/10/11
- メディア: 文庫
- この商品を含むブログ (7件) を見る
私は底無しのように見える汚れた泥を見つめつづけた。
この底に、あの美しい花を咲かせる蓮の種がいったいどれだけの数、
眠っているのだろうと思った。
そして、この汚ないぶあつい泥がなければ、あの美しい蓮の花は咲かないのかと思った。
この泥のなかに、私がいる...という幻想くらい、私を鼓舞したものは、
おそらくこれまでの私の人生では他になかったはずだ。
そのとき、私は花果同時という言葉、さらには因果倶時という言葉が、
途轍もなく勇気を秘めた言葉、巨大な希望を蔵した言葉であることを知ったのだ。
夏の、盛りの蓮の花を見たときよりももっと強く、
私は幸福になるための新しい因を自分でいま作ろうと決心した。
因を自分で作るのだ、と。
宮本輝『睡蓮の長いまどろみ』
そして、自分は再び満開の睡蓮の前で、
幸福になるための新しい因を作ろうと決めたのだった。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- +
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
睡蓮は花果同時ではないので... 後日撮った蓮の写真を...
埼玉の古代蓮園にて... 初めて見た白い蓮