トラちゃんのはなしを続けよう...
- 作者: 宮本輝
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2013/10/28
- メディア: 文庫
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美術骨董「新田」に弟子入りした虎雄は
10年の歳月をひたすら師にしたがってきた。
ある日、京都の有名な料亭が店を閉めることになり
その料亭にある掛軸を見てこいと先生から言われて、虎雄はひとりで出かける。
そこで、桃山前期の唐津焼と出会ってしまった。
なぜそんなに惹かれたのかの理由や理屈は、あとからついたものにすぎない。
薄茶色で肌理は粗くなく滑らかでもない。無造作なろくろ使いには、これみよがしなところが一切ないが、
微妙ないびつさというか波打ちというか、薄い飲み口のあたりの、
目には見えないほどのうねりの美しさには溜息が出た。
盃は、底へ行くほど土の厚昧が増していたが、
それは小さいけれども頑丈で安定した高合へと極く自然につながっている。
使われている釉薬は、表よりも内側のほうが厚くかけてあるのに、それすら控えめで、
窯のなかで火によって自然にできた色むらの模様は、半月とすすきがつつましく
寄り添っているかに見えた。
自分の当時の知識でも、その唐津の盃が桃山前期のものだということだけはわかった。
宮本輝『三十光年の星たち』第二章
先生からは、20年は絶対に個人で焼き物を買ってはならないと戒められていた。
しかし...
その唐津の放つ魅力に抗えきれず、女将に交渉して
自分が長い年月をかけて貯めてきた貯金をはたいて、それを買ってしまった。
その夜は眠れなかった。すばらしいものを手に入れた歓びよりも、先生の命にそむいたことが、
次第に取り返しのつかない過ちをおかしたという後悔の念となって膨らんでいったからだ。
先生からは、二十年間は自分で売り買いをしてはならないと厳命されていた。
二十年間、ひたすら焼物を見て学ぶのだ。
もうよかろうと判断したら、こちらから、そろそろ準備を始めろと言う。
そして十年、自分の力で焼物を揃えて、「新田」で働いて三十年というときに、自分で商売を始めるのだ。
これを守れるなら、私のもとで修業させてやろう。
先生はそう言い、自分はそれを誓った。
ああ、これを慢心というのだ。たとえこの盃が名品であったにしても、それは自分の慢心がみつけてきたものなのだ。
ああ、大変なことをしてしまった。自分はもう先生のもとに置いてはもらえない。
どうしたらいいだろう。
頭が変になるくらい思い悩んで、三日後、自分は先生に正直に打ち明け、店の座敷におでこをすりつけて謝罪した。
先生は、その盃を持って来いと言った。そして、自分が桐箱から出した盃を見てか
「これを、そこの玄関の横の壁に叩きつけて粉々に割ってしまえ。それがでけへんのなら、この『新田』から出て行け」
と言った。
自分は「はい」と返事をして盃をつかみ、座敷から降りて、それを壁に叩きつけようとした。
すると、先生は、
「もうええ。そんなことをせんでもええ。その唐津に何の罪もない」と言った。
そして、それは大事にしまっておけと言って許してくれた。
だが、許してくれたと思ったのは自分のほうで、先生は許してはいなかったのだ。
その日以来、先生は口をきいてくれなくなった。お客さまのところへ行くときもお供をさせてもらえない。お昼ご飯も出してもらえない。
よほど必要なとき以外は声もかけてくれない。
これをやれ、あれをやれ、ということ以外の雑用をしていると、お前はなぜそこにいるのかと叱られる。
どうしていいのかわからず、先生の目の届かないところにいると、
お前が近くにいるという気配だけで気分が悪くなると言われる。
いても叱られる。いなくても叱られる。
ふたことめには馬鹿だの能無しだの、およそ考えつくかぎりの罵倒の言葉を容赦なく浴びせられる...。
あれだけ反省し、謝罪し、命じられるままにあの唐津の盃を叩き割ろうとしたというのに、
いったいいつまでしつこく根に持ちやがるのだ、この野郎は。
そのうち、自分のなかには怒りが湧いてきて、もう店を辞めようとすら思った。
このおっさんは、俺が凄いものをみつけたことに嫉妬したのだ。男の嫉妬というやつだ。
このての嫉妬は執念深いのだ。
こちらの想像を超えた嫉妬を抱いてしまったからこそ、誠にはせずに安月給のまま
飼い殺し状態にして、いじめつづけるつもりなのだ。そうに違いない。
いったんそんな考えが頭をもたげても、自分のなかの別の心が、いや、先生はそんな姑息な小さな人ではないと打ち消す。
そのふたつの心のせめぎ合いのようなものが、一年二年とつづくうちに、自分は先生に直接真意を訊きたくなってきた。
口をきいてくれないといっても、毎日近くにはいるのだ。その先生の返答次第で、自分は「新田」を辞めるかどうか決めよう。
そう思って、意を決して先生に話しかけようとするのだが、どうしても言葉が出てこない。
そんなことを直接訊いてしまったら、その瞬間に、自分と先生とのつながりは永遠に切れてしまいそうな気がするのだ。
冷たく無視されつづけて三年がたとうとするころ、
自分のふたつの心のうちのひとつこそが慢心の最たるものだったのだと気づいた。
突然、我に返るようにして気づいたのだ。
二十年間は何があろうとも自分で焼物の売り買いをしてはならないという戒めには、
修業のための最も肝要な何かが秘められているのだ。
自分はそれを破ったが、深く反省し謝罪した。黙っていればわからないのに、正直に打ち明けた。
先生はそれをよしとしてくれたからこそ、本格的な訓練を始めたのだ。「叱られつづける」という時を与えてくれたのだ。
それなのに、自分は、先生が嫉妬していると考えた。それこそが慢心なのだ。
自分のなかの正真正銘の慢心が正体をあらわしたのだ。
自分は心のなかで、先生に深く頭を垂れ、これから先、五年でも十年でも叱られつづけようと腹を決めた。
先生が、三年前と同じように「虎雄」と呼んでくれて、お客さまの家へと伴ってくれたのは、その数日後だった。
それだけではない。これまでは決して触れさせてもらえなかった
「蔵」のなかの焼物の管理もすべて託されるようになった。
宮本輝『三十光年の星たち』第二章
師弟とは、かくも厳しいものなのだ。
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しかし...
いかに不肖な弟子であっても、師は見放さない。
師とは待つものなのだ。
慢心を捨てて、叱られ続ける覚悟を決めなければ...
5年...10年...叱られ続ける覚悟を...
そして、人間として成長していかなければ