うたた寝をしている間に、新幹線は越後湯沢に到着した。
窓から見える山々は雪に覆われ、朝陽に輝いていた。
スノーボードを背負った若者に交じってホームに降り立つと
冷気が顔をこわばらせる。
ほくほく線は、雪の中をゆっくりと走り出す。
数か月前に通ったときとはまったくの別世界。
どこまで行っても雪・雪...一面の雪...
道路と家の周りだけが削り取られ、野山も田畑もすべて深い深い雪に包まれている。
これほどの雪を見るのは、初めてのことかもしれない。
横浜ではもう春の声が聞こえ始めているが、雪国の春はまだ遠い
この雪の下で、無数の生命が眠りながら、遅い春を待っているのだな。
暖房のききすぎた電車のなかから、レールの騒音を聴きながらではなく
静かな雪原のなかに立ってみたい。
雪に囲まれた家で、雪のしんしんと降るよるに眠ってみたい...
そんな空想をしながら、どこまでも続く雪景色に見入っていたが
海岸に近づくにつれて雪は減っていった。
20年ぶりに読み始めた宮本輝の『海岸列車』
母に捨てられて、伯父に引き取られた兄と妹、夏彦とかおり
愛を求めてさまよう青春期の二人は、それぞれに
折に触れて海岸列車に乗り、母が住むと言われた山陰の寒村 鎧駅に降り立つ
そして駅のホームから日本海を見下ろしてかえってくるという旅を繰り返す。
様々な人間模様のなかで...男と女のあいのかたちのなかで...
生きるとは...幸福とは...不幸とは...希望とは...愛するとは...
実に多くの啓示に幾たびも涙が流れ、自分のなかで何かが変わっていった。
直江津を過ぎて『海岸列車』につながる同じ日本海にのぞむ電車に乗って
冬の日本海の寂しい風景が流れていくのを見おろしながら
夏彦が年上の愛人澄子との最後の旅の部分を読み返す。
- 作者: 宮本輝
- 出版社/メーカー: 毎日新聞社
- 発売日: 1989/09
- メディア: 単行本
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列車がトンネルを抜けると、日本海が間近に見え、たちまち低い山に隠れ、
それがやっと再びあらわれたかと思うと、長いトンネルに入った。
「ずっと、こんなふうにして、海が見え隠れするの?」
と澄子が訊いた。
「うん、鎧まではね。鎧からの向こうは、行ったことがないから知らないんだ」
夏彦はそう答えた。
「この列車から見える海って、なんだか私たちの幸福みたい」
と澄子は言い、少し考えてから微笑み、
「不幸みたいって言い変えようかしら」
そう言葉をついだ。
「すぐ傍にあるのに、あらわれたり消えたりするのね。
消えると言っても、見えなくなるだけで、すぐ近くに存在してるんだもの」
おそらく、俺が想像している以上に、この澄子という女は、物事を深く考える女なのだろうと夏彦は思った。
過ぎ去った澄子の結婚生活の細部は知る由もないが、
ある日突然、妻の高校生時代の災厄を理由に暴力をふるうようになった夫の言動から、
澄子が学んだものは大きかったのだろう。
人は、不幸からだけ学ぶのではない。不幸と幸福の、ふたつの谷間から何かを汲みあげるのだ。
夏彦はそんな気がして、列車がトンネルから出ると、身を乗りだして、秋の日本海を見つめた。
「すぐ傍にあるのに、あらわれたり消えたりするのね。消えると言っても、見えなくなるだけで、すぐ近くに存在してるんだもの」
いまの自分は、この人生から何を汲みあげられるのだろうか...
トンネルで時折遮断される鉛色の海と空を眺めながら、生きていることの不可思議に思いを傾けた。